ウエイン町山氏による『ラッパー慕情』(藤原章監督)の感想が最高。

bakuhatugoro2004-03-13


http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20040309
「温泉芸者シリーズ」観終えたら、早速オービスで借りてこよう。


ただ、

あの頃の香港台湾製クンフー映画の主人公は、「おれはクンフーで強くなるんだ」というだけで、30近くになるのに定職もなくフラフラしていた。


大会に出るわけでも、道場を開くわけでもない。


毎日、修行しているけど、目的はない。


メシ屋でたまたま地元のゴロツキとケンカになり、いろいろあってそいつを倒すが、倒した瞬間にTHE ENDと出て映画は唐突に終わる。


そいつの人生、どうにもならないのに。


でも、それを見ていた中学生の僕らは、何の疑問も持たなかった。


そして、主人公たちが無意味な修行をするのと同じように、


生きるために必要な勉強はほったらかしで、好きな映画やマンガやアニメの「研究」に没頭する。


そしたらいつのまにか、大人になっていた。


で、生活が圧し掛かってきて、しまった! と気づいた時にはもう遅い。


程度の差こそあれ、オイラもその一人だ。たまたま好きな映画について書いて食えているだけの話だ。


タクシードライバー』のトラビスと自分の間にあまり差はないと思っている。

これは町山さんの、オタク(というかボンクラ)に対するサービスと優しさによって脚色された文章だと思うけれど、俺はちょっとだけ違うな、と思った。
こういうヤツは、例えオタクにならなくたって、それはそれで結局ただただじりじりと逼塞しているってだけだと思う。
バカ過ぎたり、線が細かったりして、はじめから生き抜いていく甲斐性が欠けているのだ。


世の中がちょっと豊かで、趣味に耽溺できちゃったために、「生きるための努力」がますます疎かになっちゃったってのはあるだろうけれど、じゃあ耽溺するものが有るのと無いのとどっちが良かったか?なんてことは、俺にはわからない(俺は、あった方がいいが)。


俺自身、たまたま運良く社会の余剰に引っかかる、ちょっとだけ小器用な小賢しさがあるから、ずるずると生き伸ばしてしまってるだけ、というのが正確な自己認識に近いと思っている。


誰もが生きることに向いているわけじゃない。
人生、運、不運ってものもある。
生まれた時代が悪かった...いや、間違って生まれちゃったってこともある。
そういう認識を最後のところでは持っておいた方が、少しは人生の風通しがよくなるってこともあると思う。
ちょっとだけ、人にやさしくなれる気もするし。
(と言いつつ、目の前にすると平気で自分を棚に上げて、ウザかったりもするんだが)


だからって、簡単に達観なんかできやしないし、ずるずると始末悪く、運命に逆らってジタバタし続けていくんだけどね。


なんてことを、アニメ好きの内気な工員が、隣の家の小学生の女の子殺しちゃった事件の報道聞きながら考えた。
サイバラの話はまた今度。


戦っていくよ ベイビー♪


映画を観ての感想はこちら。
http://d.hatena.ne.jp/bakuhatugoro/20040319#p3