井上尭之バンド 新宿厚生年金会館

今回の井上尭之バンドは、昨年のショーケン復活の時のバックメンバーがそのまま移行した編成(オリジナルメンバーは速水さん一人)だったので、正直、旧作もかなり80年代のフュージョンっぽいアレンジを施されてるんだろうなあ、と覚悟して臨んだんだけれど...
傷だらけの天使』も、『太陽にほえろ!』も、当時のアレンジ、音色をまさに完全再現(過去の音源から直に譜面起こし直したとのこと)。
「今日は、セットもなし、照明もシンプルに、(70年代初頭)当時のままの雰囲気でやります」と、尭之さん自身もMCしていたけれど、実はこれは「今現在」において、いちばんカッコイイスタイルのライブになったということだ。
薄暗めのステージで、渋くもグルーヴィーな演奏を淡々とキメる彼等は、最高にイカしていた。
過剰な演出が絶望的にダサかった(そのダサさにリアリティがあって、僕等の愛は尚深まったわけだが)ショーケン復活ライブとは、まさに対称的だった。
(だけど今回、客席にいながら敢えて、彼等に華を持たせてステージには上がらず、ひとり立ちあがって拍手していたショーケンは、とても彼らしくてカッコイイなあと思った)


以前、ギターウルフがメジャーデビューして広く評価が高まった時、萩原健太氏が「革新性のまったくないこんなものが、評価されるのはおかしい」というような意味の事を言っていて、激しく違和感を持った事がある。
ギターウルフに、スタイルの革新性や技術的な洗練を求めてどうする?
むしろ、それを拒否して、粗削りな演奏を、録音を維持していくことへの確信の強さにこそ、彼等の新しさがあったんだから。
「常に新鮮さを発明すること」やオリジナリティが、ロックの大きな価値軸としてあることを否定はしないし、そうした営為に懸けるミュージシャン達をないがしろにするつもりはないけれど、だからといって、あらゆるミュージシャンがその基準で価値を測られるべきだとは思わない。
いや、というより、頑なに資質やスタイルを守る事が、状況や同時代に対しての緊張感の表現であり、異化として作用することだっていくらでもあると思う。


これも、尭之さんが自身MCされていたように、彼等の世代は「洋楽」であることに憧れ、愚直に志してきた。そうした姿勢から、今も本当に自由ではないと思うし、どうしても帯びてしまう生理的なオリジナリティ(尭之さんの場合は、黒人音楽的なグルーヴと、ウエットな情念やロマンティシズムの融合)を恥じてしまうような部分がある。また、常に新しくあろう、上手くあろうとする愚直なガンバリから、自分達が無意識に達成してきた過去の仕事の価値をきちんと相対的に評価したり、それを誇りに思う事が難しかったりもしてきたと想像する。


けれど、ここで演奏された彼等の音楽は確かに、「今こそ」新しかった。今、カッコヨク、同時に「現在」に欠けているものが詰まっている、素晴らしい音楽だったと思う。


今回は年配のお客さんが多くて、彼等を30年にもわたって魅了し続けた音楽の力と普遍性を感じると同時に、もっともっと尭之さんたちにも、自身の資質や仕事の価値に確信を持って打ち出していただけたらなあ、と思った。
オールスタンディングのクラブのような場所で、新しい世代を前に堂々と演奏する彼等をこそ観てみたい!井上バンドで踊りたい!! と、強く思った。