ショーケンファン新年会を、幹事として仕切ってくださったけいちゃんさんから、

http://d.hatena.ne.jp/bakuhatugoro/20040204倉本聡論について、丁寧な感想のメールをいただきました。
学ぶところの多い本当に素晴らしい内容だったので、下記に転載させていただきたいと思います。

ぼうふら日記の「前略」に関する想いを読んで、むちゃくちゃ共感してます。映画はともかく、ドラマの方は誰がホンを書いてるのかなんて意識していなかったので、後年、高校生の頃、前略と君海の作家が「北の国から」とおんなじ人だと知った時、何というか自分が恥ずかしいうな、それまでの思い込みを裏切られたような、妙なショックを覚えたことを思い出した次第です。


ただ、「前略」の方は、当時、私の祖父が料亭ではないのですが、建設系の職人商売をやっておりまして、サブちゃんのような地方から出稼ぎで来ている若い人たちを何人か雇っていたのです。毎週金曜日の夜になると、銭湯で一風呂浴びたその人たちが、うちに「前略」を観にきて、しみじみと画面を見入ってたこと、時には涙を浮かべていたり、故郷に手紙を書き出したりしていたこと、よく憶えています。そういう意味では、「前略」は、当時の東京と地方の関係性や、世相のようなものを、ある意味でよく捉えていたのかもしれませんね。


自分にとっての「前略」は、そうした日常の風景から垣間見たドラマということになるですが、昭和30年代の政府が高度経済成長をとげた結果、中央と地方の格差が広がり、その後の「食えない」地方から「食える」中央への集団就職や出稼ぎは、その経済活動、労働力の流通としては半ば必然のものとして取り入れられ、変革していく東京の経済や労働力そのものを支える構造になりました。ただ、そうした新しい社会の中にも、従来にはない日常というものが形成されつつあり、道路など区画整理で街並みが軒並み変わりゆく東京に使用人が感じる郷愁と、故郷や家族から離れて出稼ぎに来た雇用人が感じる郷愁と、その二つがお互いに共感し重なり合って、おれたちみんなの街を作っていくというような、それがいわば下町の日常になっていったのかもしれません。やがてはみんなで街おこしのため、伝統の氏神さんの神輿祭りをやったり、消防団を結成して街の治安を守るための活動に参画したり、そのアンビバレントなコミュニティは、少なくとも江戸っ子のみで作ったものではありませんね。


当時を振り返ると3〜4人くらいの青年さんが、毎週金曜日の夜に必ずうちに来て、みんなおとなしくTVを観ていました。その後、呑みに行くのか、どこも行かずにまっすぐ帰るのか、「前略」を観た後は決まって、うちの母親が「サブちゃんのように親孝行しなさいよ。お母さんを泣かせるようではダメよ。心配させないようにマメに連絡しなさいよ。何か困ったことあったら何でも言ってきなさいよ。」といつものきまり文句を言ってましたが、すると一斉にみんな「へ〜い」と恐縮に返事し、それぞれの想いで、それぞれに散っていったものでした。 「前略」には彼らが観てこそ感じる何かがあったのでしょうね。きっと。すごく懐かしいです。みんなどうしているかなあ。どちらかというと半妻さんや利夫さんタイプのぶっきらぼうでコワモテの人たちでしたから。でも、とてもやさしかったです。


う〜ん...俺、本当こういうのに弱いです。
だから、例えばプロジェクトX見て泣いてるようなお父さんを、頭から馬鹿にするような不人情な連中は大嫌いだし。
けいちゃんさんの、分け隔てなく気配りの行き届いた面倒見のいいキャラクターは、こういう原体験の中で育まれたものだったんですね。


『前略』については、下にも細々書いているように、自分や身内の色恋沙汰なんかをみんなが知っていて、噂話が「心配」って建て前で娯楽になっているような空気に、まったく距離が取れないまま埋没しつつ、ただ受け身の実直さだけを無責任に説教しているような倉本聡の姿勢には、やはり反発を感じるとこあるのだけれど、一方で僕はずっと、おそらく戦後しばらくから昭和40年代頃くらいまでの時期の東京にあったと思われる、田舎のがっちりした共同体ともまた違う、いろんな職業や階層の人間がごちゃっと暮らしながら、みんながちょっとだけみんなを気にかけてる、「下町民主主義」とでも呼ぶべき空気に、ずっと憧れと興味を持ってきました。
それは、実際に自分の周りには存在しなかった懐かしさ、まさに当時のドラマやマンガ(例えば「ど根性ガエル」とか、「新オバケのQ太郎」の世界)の中に滲んでいた空気から感じとった懐かしさなのだけれど。