と、結局また色川武大の話になってしまったが

自分の感じ方に確信が持てず、頑固な開き直りを持てない。
かといって、その場その時の空気に適応、同調することも、面の皮の厚さが足りないのか、甘い意地やヒロイズムを思い切れず、はしたなく思えて躊躇してしまう。
そうして格好のつかないまま時が過ぎ、過齢を重ね、屈託を内向させていく自分を見詰め続け、認識し続けること、「書き記す」ということだけはずっと諦めることなく思い続けていたと言うこと。
凄い意志の強さだと思うし、この繊細さとふてぶてしさを同居させ続けた資質も、環境も、禍禍しいなあとも思う。