それにつけてもあらためて痛感したのは、

この頃のショーケンの周りには本当に凄いスタッフが集まってたんだな、ということ。ロックにしろ、ニューシネマテイストの映画にしろ、とにかく世の中まるごと初体験だから新鮮だし、ジャンルという形で整理され体制内に収まっていない、未整理なカオスのような状態だからいろんな生々しい混乱や勘違いも有ったけど、そこに野心やパワーが集まっているというのか(これ、ボブ・ディラン来日時に村上龍が各界の表現者をインタビューしてまわる様子をNHKアーカイブスで見た時などにも感じたなあ)。
情報感度やセンスの先走りぶりも素晴らしい。
それがショーケンという天然の素材を象徴として得て、相乗効果で発熱し、凄いことになっているという感じ。
大スターなんだけど、同時に生々しくコアであり、等身大のリアリティがシリアスに深められているんだけれど、同時にスケール感や色気に広がりがある。
こういう過渡期ならではのパワーとか、一つのものに(しかも有機的な形で)あらゆる才能も関心も集まり、金も動くということを、今望むのも見当違いだとは思うし、逆にその結果とかなれの果てが現在だったりもするのだから暢気な後出しジャンケン的発想だよな、とは我ながら思うのだけれど、やはり「何かが動いている」ワクワクする渦中の発熱具合というのは魅力だし、どういう形であれ、そこは諦められない、諦めたくないところだな、と再認識した。


しかし今回も、自分のこうした場でのホストとしての能力の低さを痛感。不特定多数の人を相手に、さらっと流すようなつきあいが本当に不得手で、一人一人のキャラクターをある程度観察、把握してからでないと何を話していいかわからず立ち往生してしまうような不器用者なもので、多くの初対面の方に接すると大抵、距離の取り方が分からずに傍目には無愛想になるか、挙動不審になってしまう。今回も、おそらく多くの方に失礼をしたことと思います。この場を借りてお詫びを。
特に、お忙しい中ラスト近くに駆けつけて下さったTAIZANさんにはまたも不義理をしてしまった(『もどり川』のパンフ、ありがとう。滅茶苦茶嬉しかったですよ!)。万難を排して、何としても年内に一度呑みましょう!