『ヒーローショー』

http://twitter.com/hitokirigoro より。

『ヒーローショー』傑作。それも監督の「芯」がすべて詰まった真の意味でのデビュー作『ガキ帝国』、そして「これぞ娯楽映画の王道」というべきキャリアの発展的集大成『パッチギ!』に次ぐ、新たなメルクマールと言って良い。しかも前者を貫く「若さの熱と心意気の賛歌」とは真逆の内容。 1:45 AM Jun 4th webから

『ヒーローショー』興行的に大苦戦している理由は良く分かる。というか、それは監督も覚悟の上だろう。(あらゆる意味で「娯楽」の要素を犠牲にしても)作られ、世に問われたことに意味がある「作家」の映画。 1:49 AM Jun 4th webから

『ヒーローショー』とは言え、自分は正直、テーマや筋立てそのものにはそれほど新味や驚きは感じなかった。ぶっちゃけて言えば、これは古谷実や『闇金ウシジマくん』が描いてきた、バブルな豊かさの中で社会のタガが緩んだまま、景気が左前になっても放置されっぱなしの、寄る辺ない若者の醜態と悲惨。 1:56 AM Jun 4th webから

『ヒーローショー』ただ、そうした現実が周知の事実になり、日常の風景にもなっている現在、ことさら負の断面だけを並べて、それを「リアル」だと喧伝するだけでは、あまり生産的でない気がする。多くの人は綻んだ状況の中でも、何とかよすがを拾い集め、編みなおしながら生きていく。 2:05 AM Jun 4th webから

『ヒーローショー』けれどもこの映画は、そうした「現在」を描く作品にありがちな負の断面への自家中毒古谷実)や、それと裏表の皮肉なしたり顔(ウシジマくん)を不思議と感じさせない。静かな距離と、密かな入れ込みとが、互いに緊張の中で貫かれている。 2:15 AM Jun 4th webから

『ヒーローショー』思えば監督の半生記『ガキ以上、愚連隊未満』も、驚異的な記憶力で長い長い青春放浪をねちっこくも熱っぽく語りながら、実は安定と爛熟へと向かう8,90年代と、昭和の庶民であり且つカウンタカルチャーの子供である「ホットな個性」が噛みあわず、くすぶり瞑想してた時期の方がずっと長い。そしてその挙句にあの不幸な事故。ある意味、ナイーブでかつ熱っぽい資質をもてあましながら、斜陽産業の中でずっと、苦しいモラトリアムを続けてきた人って言い方もできる。 2:24 AM Jun 4th webから

『ヒーローショー』 ユウキのボロアパートと場末感漂う町なみ、実家から仕送りのダンボール、読まずに放る親の手紙、しらっちゃけたバイトの風景。不安定に上滑る人間関係。それは、平板に荒んだ現在の断面であると同時に、僕らにとっても既視感が痛い風景。 1,275,604,839,000.00 webから

経験も分別も足りず、暇と元気だけは無駄に持て余してる了見の甘い若者(馬鹿者)にとって、大人の現実はつまらなく味気ないもの。今も昔も、大抵の若いやつに目標や方針なんてあるわけないし、あっても大抵は役に立たないし、うっかりはみ出したヤツにとって、未来は五里霧中の真っ暗闇。 1,275,605,434,000.00 webから

『ヒーローショー』あぶれたくすぶり野郎の、ふとしたハズミからの彷徨と破滅ってことでは、(特に元自衛隊員の勇気の方は)『ガキ帝国 悪たれ戦争』の変奏にも見える。が、全体には、小奇麗になっていく社会に取り残された苛立ちをまとっていた昔と、生ぬるい放置の中で立ち腐れる現在の違いはある。 8:05 AM Jun 4th webから

『ヒーローショー』 が、かつてのヤンキーだって、「自分らにはこれからロクな将来はない」「だから考えない」という、どんづまり感とせつな的な逃避のモラトリアムってことでは一緒。ヒーローショーの連中の思い上がりや臆病、無思慮や依存心からの醜態は、かつて身近なヤンキー連中にもまま見た風景 8:17 AM Jun 4th webから

『ヒーローショー』ただ、世の中のタガが強く、物分りが悪かったから、とことん大はずれする前にどこかにはまり込んでただけ。が、共同体だ人情だと言ったって、現在よりも全然、人それぞれの立場や内心の扱いなんて大味だし、人知れず鬱屈や泣き寝入りが当たり前だったって言い方もできる。 8:32 AM Jun 4th webから

『ヒーローショー』 それでも生きるよすががないよりはマシ。どっちにしろ「この世に天国はない」。そして井筒監督は、厚みのある共同体での人間の機微をリアルに、楽しく描き、その一方にある閉塞や膿み、世の変転の中での軋み、そしてそれにぶち当たって弾けたり砕けたりの馬鹿共のエネルギーを、共感と愛情を込めて描いてきた。「どんな運命の流転が待っていようと、やってやれ!」と。 8:40 AM Jun 4th webから

『ヒーローショー』 しかしその井筒監督が、機動隊員になってしまったかつて仲間から追い回される、独りになった趙方豪が、それでも元気に「ビール一本!」と言い放つ『ガキ帝国』を撮った彼が、「お前クニに帰って地道に暮らせ」「小さな幸福をかみ締めてみろ」と諭すようなラストを撮らなければならなくなるとは… やはり、老いた社会の寒々しさを痛感せずにはいられない。 8:53 AM Jun 4th webから

『ヒーローショー』 社会のタガがはずれ、怒りや夢が消えて生ぬるいモラトリアムだけが残り、自立の道筋もなくまだ空っぽな自我だけを膨らまし、互いに曖昧にもたれあいながら、気分と惰性とハズミで流れていく現在の若者。彼らにぶつける価値も持たず、しかし鮮度を失った若者に飽き、利己的で包容力のない「大人こども」になっている現在の大人。正直、自分はそんな現在にどうしても愛情が持てずにいるのだが、井筒監督の徹底した見つめ方、付き合い方、寄り添い方には、共感と苛立ちの半ばする「愛」を感じた(しかも、阿りはまったく無い)。やられたと思った。 9:09 AM Jun 4th webから

『ヒーローショー』 しかし、当の若い世代がこの映画を観てどう感じるだろうか。客入りの様子を観る限り、ただただ痛いところを疲れるだけの内容に、スルーしてすぐに忘れようとするだけなのでは?とも感じる。かつてのニューシネマは、上り調子の若い社会の仇花というか、敢えてそれを拒否すること、あるいは、そこから零れ落ちるものを見つめること自体に新鮮さがあった。敢えてするアンチロマンや明日なき暴走はロマンティックだった。けれど、この映画に、観客のナルシズムを刺激するロマンはない。

『ヒーローショー』本当は、悲惨を顕在化させる酷い事件を通して、ユウキを剥き身の自分の駄目さ加減に向き合わせ、勇気との寡黙な交情を鏡に、自分を見つめる微かな成長を描くことの中に、ギリギリの形で(饒舌によって映画もメッセージも空回りした前作とは真逆の、研ぎ澄まされたやり方で)それは存在するのだが。しかし、やはり若者には旨みが薄いだろうな… 

『ヒーローショー』逆に、これをちゃんと(受け流したフリをするのでなく)受け止められるなら、そいつは大したヤツだと思う。そして、この映画の結論はただの「スタートライン」であって、彼らなりの祭りで打ち返してくれたなら、 きっと井筒監督も本望だと思うのだが。9:43 AM Jun 4th web


今年は『息もできない』と『ヒーローショー』に出会えただけでも、個人的映画体験は大充実だと思ってる。この二作、進入角はまったく真逆なのに、最終的に受ける感慨が似ている。どんなに世の中が便利になっても、大切なものを身に沁みるのに、便利な近道は無い。特に自分たちのような馬鹿には。 9:47 AM Jun 4th webから


『ヒーローショー』この映画にお客さんが入らないのは当たり前。忙しい日々のちょっとした気晴らしを求めに出かける善男善女を責めても仕方ないし、責められない。もし自分が劇中のような環境や人間関係に取り囲まれたショボい若者だったら、そうでなくても日々に耐えるだけで精一杯なのに、わざわざこんな辛いものを見せ付けられて「じゃあどうしろっていうんだよ!」ってうんざりしたかもしれない。それでも彼らに、事故のようにこの映画に出会って欲しい。お上品な映画ファンが、ちょっとした「リアル」を確認して終わりじゃ、ちょっと寂しい。もしかしたら、自分と取り囲む現実がちゃんと気にかけられ描かれていることに、どこかで安堵することだってあるかもしれない。ちゃんと挑発されて「これだけじゃないぞ!」と、打ち返したくなるヤツだっているかもしれない。そう信じて、この陰惨な青春映画のことを呟き知らせたい。 12:14 PM Jun 5th webから