5日追記


自分が感想見て回っていて気になったのが、この作品が父性原理を否定しているとか、(ラストに描かれる)父親抜きの疑似家族をそれに対置しているってふうな見方が(主に頭の良いタイプの人に)かなり多いこと。

「竜二」や「スカーフェイス」などのチンピラ映画と違って、「息もできない」には、確かに内にわだかまった出口のない思いや、それを生んでいるものの一端を、分かりやすく伝えたい、描きたいという姿勢はあったと思う。
だから、家族や父親の負の側面に傷ついている人間の思いや葛藤は描かれているけれど、それをそんなイデオロギー的な主張に纏めたり、打ち出してなどいない。
最後の焼肉屋のシーンだって、傷を負った孤独な人間が、肩を寄せ合っているだけ。それに自分が印象的だったのは、あれだけ家族に傷ついているサンフンも父親も、それでも地獄が待っている家に毎日帰ってくること。それが良いとか悪いとかではなくて(現実には、閉ざされた関係に出口があった方が良いに決まっているけれど)、そういう抜き差しならない繋がりの中でこそ、このドラマは生まれているということ。

僕は竜二の思いとサンフンの思いを、正否や優劣で見たりはしないし、ただ確かにここにある現実と強い思いを刻むことに、良いも悪いもないと思う。
ただ、この映画が(これも単純に良い悪いじゃなく)一見泥臭く暴力的なようで、実は根本はとても前向きな健康さに貫かれていることは確かで、驚いたり絶賛したりする人たちから、そこへの指摘や考察がまったく出てこないことに、僕は日本の観客や評論家の現実が映画と遠く隔たっていることを感じるし、そこから出てくる上のような(半端な知識ありきの)記号的な構造解釈に、どうしても苛立ちを感じてしまう。