関連メモ 「シナリオ」73年10月号 笠原和夫『仁義考』より

海軍の町呉に、「カシメ」という職業があった。造船所や工場の鉄柱を組み立てる時、接合部分を鋲で締める仕事である。今は溶接とかボルト締めになったので、カシメ業も衰退してしまったが、戦前は下請けの「アナヤ」なども含め数百人の若衆を抱える大一家だった。カシメの仕事は「一程」と呼ぶ四人一組の作業で、鋲を焼いて上に放る「ホド」、その鋲を火箸で受け止めて鉄骨の穴に差し込む「取次ぎ」、鋲を打ち込む鋲打ち師、裏ッかわでテンビンで鋲先を押える「当て番」がいて、給金も作業もすべてこの四人一組の単位で行われるから、一人がズル休みしたり、作業にミスがあったら他の三人がモロにとばっちりを喰う。貧しい家の子は、小学校を出ると直ぐこの仕事に飛び込んだ。危険で辛い仕事だから給金がケタ外れに高いからだ。そうして十三、四才から、こうした共同作業の、荒っぽい命がけ労働の中で、仲間内や親分との間に仁義や情、旅(他の土地のカシメ)とのつき合いをたたきこまれてゆく。それに金も余ってくるから十四歳くらいで女郎屋に馴染みも作る。こういう手合いが一番喧嘩に強く、連帯も確かで、人情にも富み、つまり映画で描く「ええヤクザ」の典型みたいな男たちだった。「仁義なき戦い」の第一部で梅宮君が扮した若杉というやくざは、このカシメから出た大西政寛という故人がモデルだった。だが、こういう労働の中から仁義を学びとりそれに命を賭ける熱血漢は、世間からは狂気とも見られる暴走に生命を燃焼しつくし、流通のネックを押えることに長けているボンクラ(不良)上りの博徒たちの前で姿を消してゆくのである。肉体労働者の仁義は、現代経営戦略には歯が立たないのである。時流の必然ではあろうが、単にやくざの世代交替といい捨ててはしまえない、何か心惹くものがある。重ねていうが、仁義とは遊び人のルールではない。貧乏と肉体労働の中から生まれた、生存の為の心意気のことである。

「仁義なき戦い」調査・取材録集成

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