最近、時の流れが加速してるなあ…

さっき、テレビで『20世紀少年』やってるのをぼーっと観ていて、つくづく思った。
こういう映画の企画は2、3年前から動いてるんだろうけど、公開までにまさかここまで、世の中が一気に貧しくなっちゃうとは想像できなかったんだろうな。


そういうこと以前の出来そのものも、過去と未来をシャッフルしながら進んでいく原作の展開を、この映画はうまく処理できていなくて、生理的、心理的な流れがぶつ切りで、それぞれの出演者は青筋立てて熱演してるのに全部から回り、という痛ましいことになっている(この監督に限らず、90年代的なセルフボケツッコミや内輪ウケセンスが身上で、物事に正面から向き合うことを避けてた種類の才能は、プラスのカードが全部マイナスにひっくり返るような苦境に、これからどんどん立っていきそうな気がする)。
けれど、仮にその辺がうまく行ってたとしても、話の背景にあるプロットやメッセージ自体の「いい気なもんだ」感が、ここに来て露骨にあらわになってる気がする。だってこれ、ロック好きの万博世代が、子供の頃に描いた明るい未来像とは程遠いしょぼい暮らしをしていて、しかも当時の無邪気な夢が、そこから阻害されてた者によってグロテスクな形で実現されてしまった。けれど、初心を元気に貫いて、それと戦い打ち勝っていくっていう話でしょう?
おこがましいというか図々しいというか、同じ原作者の『ディアスポリス』なんかもそうだが、いくらハードなテーマを緻密な仕掛けで展開してみせても、根っこにあるのがリベラル優等生の割り切った模範解答でしかないから、読み終わった途端にすぐ印象がぼやけてしまう。人間の本当の情念に向き合うことを避けているから(というより、アリバイ程度に触れたフリだけして、頭で手堅く処理するような官僚的手続きの繰り返し)。
いや、それ以上に、ちょっと敏感な人だったら、無反省なロック世代の思い上がりに、「ケッ」て思うだけだろう。
途中、「銭ゲバ」の「どうしてこの世では、みんなが幸福にはなれないんですかねえ…」って強烈な番宣が何度も入るから、よけいに明暗がくっきりしてしまう。
明日からのパート2、結構酷い大コケになりそうな気がする。


それにしても、缶コーヒーのCMで、髪をわざわざ黒くした福山雅治に「嘘が付けない」なんて実直さをアピールされてしまうと、バブリーな本人が簡単に衣替えできてしまうことの棚の上げ方に、乾いた笑いしか出てこない。自意識を抑えることもできないトーシロに毛が生えたような連中の狂騒を、ここ20年くらい続けてきたブラウン管の中の人たちは、それを見つめている側の心底冷め切った視線に対して、まだまだタカを括ってるような気がする。


こういうことを書きながら、「今いちばん楽しみにしてるのは『家族に乾杯』」なんて言ってると、みんな貧乏なんだから、遠慮してマジメな企画を増やせって言ってるように見えるかもしれないけど、そうじゃない。単に、見え透いたその場しのぎの誤魔化しは、いいかげんにしとけよって話だ。
受け手を舐めるなと。
「家族に乾杯」って、他の同種の田舎訪問番組に比べても、変にはしゃいでないところが良い。
同時に「ネタにして笑おう」って冷たい作為もなくて、出会った人たちからふと出てきた、ちょっとだけ生々しいリアクションの本当らしさに触れて、安心して笑える。
無理にまとまった情報を引き出そうとしないし、「いい話」にまとめようともしないさじ加減が絶妙なのだ。
これは鶴瓶に、庶民との距離を誤魔化そうとするような自意識がない(というか、きっちり処理されている)からこそ、出てくるもの。
芸能人だという無自覚な奢りを垂れ流さないし、「庶民の仲間」を過剰にアピールするような暑苦しさもない、重心の低い腰の強さに支えられた安定感。
だから、さんまや紳助じゃ全然駄目。「ダーツの旅」の所ジョージは、企画を舐めてるというか、ラクしすぎ。


似た例で言うと、正月、知人の家族と一緒に、たまたまついてた「笑点」のスペシャルを観てたら、なんだか凄く楽しくて自分でもちょっと吃驚した。
みんなが、やわらかいサービスに徹しているというか、浮き足立った狂騒を押し付けられてる感じがしないだけで、凄く居心地がいい。


一方で、途方もなく贅沢なことや、くだらないこと、バカバカしいくらい退廃的なことをやるヤツがいて欲しいとも思う。貧乏臭い時代だから尚更、そういうことを一時忘れられる、体に悪そうな甘甘の砂糖菓子も喰いたいし。
でも、そういうのってやっぱり、どこか堅気からきっぱり切れてもいいって覚悟というか、矜持というか、一目で分かる凄みみたいなものがないと、煩いし小賢しいだけだ。
なんだかんだ言っても、まだまだ最近まで、世の中バブリーな上げ底状態が続いていたから、そういう「あるべき物があるべき場所に」って状態になるには、もっともっと本格的な貧乏が身に沁みないと難しいのかもしれない。
それまで我々自身がもてばいいんだが…


銭ゲバの3人を見てると、ミムラが今35歳から25歳くらいのバブル引きずってる微温な世代、木南晴夏さんが自閉気味な現在の10代くらい、そして、それに「かわいそうズラ、気持ちわかるズラ」ってうまく擦り寄りながら、ドンって背中押して谷底に突き落とし、懐の財布を抜いて「3万か…」とかやってるのが、まるで過去の闇市から来たような新たな世代になるのかなって、ちょっと暗い連想をしてしまう。