『かけがえのない俺・長谷川和彦について』


講談社BOXから出た、『パンドラSide B』というライトノベル雑誌に、長文の長谷川和彦論を書きました。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062145022/hatena-22/ref=nosim
実は、この文章を書いたのは去年の夏。雑誌の創刊時期が二転三転して、どうなることかと気を揉んだけれど、無事に世に出てともかく嬉しい。


5年ほど前、ゴジ監督がスタッフを一般公募し、20年越しの『連合赤軍』の企画が何度目かで動き出しそうだった頃、例の完璧主義と底なしの自分探しの泥沼にはまってまた頓挫してしまうのでは…とハラハラしながら、何とか自分にもバックアップできないかと、「長谷川和彦連合赤軍への道」という企画を立てようとしたことがある(あるいは映画が出来ないなら出来ないで、出来ない理由のドキュメントだって、彼なら面白いはずだってくらいのつもりでいた)。
が、未定稿シナリオを読ませていただいて、正直、内容に絶句してしまった。
決してつまらないわけじゃない。
いや、細部のエピソードは充分に面白いし、それ以上に並々ならぬ拘りと熱量が行間から溢れている。
しかし、同時に、このシナリオは絶対完成しないだろうと思った。
事件を映画化する技術的な問題以前に、ゴジ監督自身の事件の捉え方と距離、そしてその大元にある人間観の問題として、この方向では絶対にケリはつかないし、ケリを付けた途端に絵空事になってしまうと思ったのだ。
一言で言うと、ゴジ監督は神様になろうとしている、神様になって映画を纏めようとしていると思った。
「近代人の孤独な宿唖を飛び越えて、宇宙との一体感を取り戻そうとしている」という言い方をしてもいいかもしれない。
僕は、ただの虫けらのような個人の小さな拘りに、あくまでも虫けらとして粘りきろうとあがく彼の映画が好きだったから、このシナリオに大きな違和感と反発を持ったが、本気で向こう側に突き抜けようとしているゴジ監督に対して言うべき言葉がどうにも見つからず、感想をお伝えできないまま時を重ねてしまった。


勿論今回は、未だ企画中であるこのシナリオの内容にはまったく触れていないけれど、彼の2本の監督作といくつかのシナリオ、そして現在までの発言を通して、長谷川和彦とその映画が何者であるか、何故『連合赤軍』はいつまでも撮られずにいるのかを、僕なりに力の限り追求してみたつもり。
5年前の借りが、少しでも返せていればいいんだけど。


また、彼のテーマを一言で言うと「自分探し」だし、彼の作品を貫く感性は無頼派風の外見に似合わず、実はオタクや引き篭もりの元祖とも言えるものなので、彼について考えることは現在について考えることにも繋がっている。
ライトノベル雑誌に長谷川和彦論というのは一見ミスマッチに映るかもしれないけれど、初めて彼の名前を聞く若い読者にも間口を大きく、同時に、いわゆる邦画ファンの暗黙の前提になっている評価の仕方を敢えてひっくり返すような掘り下げを試みたつもりなので、是非幅広い読者の目に触れて欲しいと思います(そして勿論、長谷川監督にも読んでいただきたい)。
何卒、ご一読を。また、彼の映画のファンの目に触れにくい場所ということもあり、興味のありそうな方にお知らせいただけると助かります。
よろしく!

パンドラVol.1 SIDEーB

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