わが青春のトキワ荘 現代マンガ家立志伝

bakuhatugoro2006-12-18



チャンネルnecoで、81年に製作されたNHK特集「わが青春のトキワ荘 現代マンガ家立志伝」を観た。
何より動く寺田ヒロオが見られるということもあり、『まんが道』、トキワ荘伝説のファンとしてはずっと見たかったドキュメンタリーで、放映を心待ちにしていた。
始まる前からテレビの前に陣取り、貧しいけれど暖かい、何も無いけど未来と希望だけはある、昭和30年代のマンガ家たちの青春群像を期待していたら、予想と実際の番組内容とのギャップにしたたかショックを受けた。


手塚治虫藤子不二雄石森章太郎赤塚不二夫といった、マンガの神様達の伝説的な青春はほとんどスルーで、カメラはまんが道を途中リタイアした森安なおやのその後の苦しい人生や、当時赤塚賞を受賞した若いマンガ家(の卵)の、泣かずとばずの孤独な毎日(受賞の1年後、赤塚不二夫はこの新人のことをまったく忘れており、インタビュアーの説明でやっと思い出すが、彼の実力をさらりと切って捨ててしまうシーンまでしっかり流された)を、延々と追い続ける。
製作者は、マンガそのものに関心が無くて、その分過剰に人間の裏面を追う「ドキュメンタリー」に固執したのか、それともマンガのメジャー化、商業化への反発から、タイトルに偽りありのアンチ立志伝的「漫画家残酷物語」をやろうとしたのか。いずれにせよ、どうしてこのテーマで、こんな偏った内容になってしまうのか正直理解に苦しむのだが、結果的にある種のリアリティが強烈に喚起される、特に現在の我々にとっては鮮烈な番組になっていた。


トキワ荘の先生方に限らず、子供の頃、自分が夢中になっていたマンガやアニメを作った大人たちをはじめてテレビで見たり、雑誌のインタビューを読んだりした時の何ともいえない違和感。いわゆる子供好きのする「人懐っこい、やさしいおじさん」像から程遠い、ぶっきらぼうな冷たさや語りのアクの強さに驚き、がっかりした時のことを鮮明に思い出した。
そして、あれはマンガが文化でもなんでもなく、ガキ向けの人気商売、文字通りの水商売でしかなく、マンガ家たちは消耗品のように酷使され、使い捨てられていた時代、貧困と先の見えないプレッシャーと世間の視線をはねかえし、ひたすら自分の夢に執着し続ける、ある意味エゴイスティックで化け物じみた強靭さが現われた「顔」だったのだと、今更のように思い至る(しかも彼らは、大陸からの引き揚げや、学童疎開の地獄の経験者なのだ)。


松本零士は自伝の中で、マンガ家になるための条件として「とにかくタフであること。他人の意見など意に介さない、心臓に毛が生えているくらいの図太い神経をしていないと生き残れない。自分より才能のあるヤツは何人もいたけれど、編集者の意見を気にして潰れていった」と書いていた。
松本零士の四畳半ものや『ワダチ』なんかの中で、主人公達は非力で、とてもじゃないが体力に恵まれたタイプには見えないのに、作品中では「これから来る時代には、お前くらい野生的で生命力のある人間じゃないと生き残れない」なんてセリフが何度も出てきて、現在のナイーブな文弱の徒であるところの俺達読者には、その意味がちょっとわかりにくかったりしたのだが、今回マンガ家たちの顔と様子を眺めていると、ストンと腑に落ちてしまった。


寺田ヒロオは、トキワ荘メンバーの同窓会には現われず、もう長い間外界と接していなかっただろう、冷え冷えと固い、重い屈託が滲んだ表情で、一人インタビューに答えていた。ある程度予想はしていたけれど、それでも直に映像で目の当たりにすると、『まんが道』で読む、みんなの兄貴のように頼もしいテラさんとのギャップがショックだった。
生まれたばかりの戦後民主主義が新鮮で輝いていた時代の空気と、戦前のまじめな日本人の気質が溶け合った、子供達に優しい気持ちを刷り込むように、ほのぼのした子供マンガ。それは時代が進むにつれて、実は本来野蛮な刺激が大好きな子供達自身のニーズに応え、そうした童心を自ら無邪気に発揮する新鋭たちによってマンガが進化していく中で、次第に時代から取り残されていった(梶井純トキワ荘の時代 寺田ヒロオまんが道』に登場する、映画や文学など、娯楽や教養への好奇心に溢れる後輩達の話題についていこうと慣れない映画館に通い、上映時間中座っていることに耐えられず酷い頭痛がするので、いつも入る前に頭痛薬を飲んでいたというエピソードには泣けた...)。
それは、「漫画少年」という雑誌や加藤編集長の志向とも重なっていたし、テラさんのそうした「良心的価値観」に狭さや限界を感じても、やっぱりテラさんは好きだなァと思う。テラさんのマンガに流れている、頑ななまでに優しい穏やかさが好きだなァと思う。それは刺激が弱い分、子供に対する取っ付きの吸引力が弱いのは仕方がないと思うけれど、俺はこういうマンガは存在していて欲しいし、こういう人にいて欲しい。
正直、今はトキワ荘の他の誰よりも懐かしく感じる。
今回も、屈託しながらも、インタビュアーを気遣わずにいられずに優しく話し、時々笑顔を見せてくれるテラさんのことが、益々好きになった。


肉体労働をしながら、10年以上をかけて描き続けたマンガを少年誌に持ちこみ、若い編集者にすげなく付き返されていた森安氏の姿はせつなかった。
作風がブランク前のトキワ荘時代で止まっていて、しかも100ページを超える大長編。それをいきなり少年誌に持ち込んでしまう、持ち込まずにはいられない、かつてのトキワ荘のトラブルメーカーの姿が、愛おしく哀しかった。
レトロモダン調で乙女チックな画風。
そして、戦前の小作農の子供が戦争に駆り出され、18歳で死ぬまでを描いたというこの大長編。
良くも悪くも単線の歴史軸が消えて、様々な時代風俗が「趣味」として並列に存在している現在ならば、或いは場所を得て受け入れられたかもしれないのにと、これも時代のめぐり合わせの無情を感じた。
森安氏最後の大長編、是非読んでみたいと思うけど、出版の可能性はないのだろうか。

戦後野球マンガ史―手塚治虫のいない風景 (平凡社新書)

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