小心、繊細なお人よし達の話

「淡白で、手先が器用で、きれい好きなところが身上だが、他人のことが目につき、重箱のすみをせせって、小さな争いがたえず、心にしまって、我慢ということができない。
よその土地にゆけばわが郷土人の性質がはっきりわかるものだ。日本人同士はいつもいがみあっていて、悶着の種がたえないか、おもいあがって他人をつっぱなし、蔭口をききあっているかが、定だ。
武士道の信義とか、東洋流の豪傑の気風の影響というものはまだまだつよい。日本人が、こせこせした性質である以上、なんとかして、もっと大人物らしくなりたいと思うのは無理からぬことだ。」
「ただ、小柄で、小心な日本人にとっては、腹のふとい人間や、英雄的行為は人一倍魅力があると同時に、辛抱のいることなのだ。」



「日本人の辛抱づよさは、国土の貧しさと小心さと、ノイローゼのおかげかもしれない。」



「そして鎖国をすることのできない今日の日本の文化は、泰西文化の傾向に、息をきらせてついてゆく状態がいつまでつづくかわからない。」



「ニセの聖人や、みせかけの豪傑は、愛嬌はあるかもしれないが、それをかつぎまわって利用する人間は、みみっちくて、腹が黒い。政界でも、実業界でも、豪快てい淡にみせた小胆者の策士が、コスからい俗衆どもの度肝をぬいて上手に世間をおよぎまわってきた。そういう人間でなければ押えていけないほど、日本人の性質は女性的で、こまかく感情が変わりやすいのだ。」



終戦後のアナーキーな状態で、日本人はまったく道徳的抵抗なく、欲望だけに目をかがやかせて、きょろきょろしていた一時期があった。この時期は、たしかに、日本人が何かに変移していくチャンスであった。すなわち国際都市や、植民地のようなわるずれのした人間になる可能性が大いにあったし、その点では、一つの経験の進歩とも考えられるのであったが、アメリカの利害がそれを果たさせずに、復興というかたちで、中途半端に旧態へつれもどされることになった。」
「しかし、あの一時期にめざめた、抜け目のなさだけは、日本人の身についてしまった。正直で、おっとりして、まけず嫌いのお坊ちゃんの日本人は、ほかの人の悪い連中と、なんとか一人前に張り合ってゆけそうになった。豪傑肌の自己陶酔では、事態の収拾はできない。若い人たちがリアリストになった。
戦後の若い、新しい国は希望を持っている。だが、日本の青年にはほんとうの愛がないという。それは、本当だ。日本人は放ち飼いにされた番犬になったからだ。リアリストたちは、身辺にしか目がゆきとどかず、買い手があれば、国民みなスパイにでもなりかねない。」



金子光晴『日本人についてふたたび』

「明治以後の日本の自由主義の発達が、そのつど挫折してきたことを考ヘてみると、それはたんに権力に屈してきたとのみはいへないところがあります。時代の風潮がすつかり変つてしまつたあとで、なほ自説を主張することのうとましさとでもいつたやうなものを感じるこまかい神経の日本人のうちにあるのではないでせうか。私は変節漢を弁護するつもりはないが、あたりが緑一色に塗りつぶされてゐるなかで、自分だけが紅であることを恐れるのは、思想的に自信がないからでもありませうが、その自信のなさは、つまり全体との調和といふことを、なにより大切にする民族性から来たもののやうにおもはれます。保身の術から変節したとのみはいえますまい。」



「私たちのまへには、たくさんの道徳的禁止令がしかれてゐる。殺してはいけない。裏切つてはいけない。うそをついてはいけない。犯してはいけない。姦通してはいけない。盗んではいけない。だが、なぜいけないのか。だれが論証できませう。」
「現在の私たちは単純な相対主義の泥沼のなかにゐる。なほ悪いことに、私たちはそれを泥沼と感じてゐない。たいていのひとが相対主義で解決がつくと思っています。(中略)超自然の絶対者といふ観念ないところでは、どんな思想も主張も、たとへそれが全世界を救うような看板をかかげてゐても、所詮はエゴイズムに過ぎないといふことを自覚していただきたい。」
「西欧の生活態度を支へる絶対者の思想は、むしろ真の意味において徹底せる相対主義といふべきものでありませう。相対的な現実の世界の上に絶対者を設定して、その両者を操り、生活を推進せしめるといふわけです。別のことばでいへば、理想と現実との使ひわけであります。かれらは単純な理想主義者として現実を遊離することもなく、また単純な現実主義者に堕することもない。」
「恋愛の初期におけるように、相手との間に距離を見いだすと、不安と焦燥を感じて、これを埋めようとする。ひとびとは、この衝動ないし操作を「理解」と呼んで、近代的かつ知的な意匠をほどこしますが、結局のところ、個人相互間の距離といふものに対する恐怖感にほかなりません。平たくいへば、日本人は「さびしがりや」だといふことになりませう。
ひとびとは自分がひとりの人間として孤立することを恐れてゐるのです。この自衛本能をクリスト教倫理における「愛」と混同してすますわけにはいきますまい。」



「多数を旗印にした制度、方法で、多数のためになつたものは、ひとつだつてありはしません。なぜなら、多数のために造られたとしても、そこにはかならず、それを自分にだけ都合よく運営しようとするものが現れるからです。古めかしい無法者は単純に法律のわなにひつかかるが、近代的な強者は巧みに法網をくぐる。さうまでいかなくても、人間が二人三人と寄り集まれば、おのづと強弱の別は生じませう。多数決といつても、それを肯定し前提としたうへに築かれなければ長続きしないでせうし、またいづれはその多数決にたいする適応能力の差によつて、新しい強者、弱者が出てくるのであります。」
「強弱、つまり現実への適応能力の強弱がすべてということになります。すべての高邁な理論、大義名分も、その底にはこの酷薄な事実が横たわつてをります。私たちが現実を知るということは、この簡単な事実を見ぬくことにほかならない。生の現実はそれ以外のなにものでもないのであります。(中略)
私たちの常識は、そんなばかなことはないといふ。(中略)が、結局のところは、他人に迷惑をかけまいくらいゐの曖昧な気もちしかありはしません。私がいままで述べてきたやうなことは、やぼな理屈といはれるでせう。それがやぼな理屈として簡単にしりぞけられることのうちに、前章まで述べてきた日本人の性格が如実に現れてをります。仲間うちの生活では、そこまで現実を煮詰めることはやぼなのであります。それほど私たちの社会は穏和だつた。人間同士のあひだに、なんとなく一種の信頼感が漂つていたのです。」
「個人にせよ国家にせよ、そこには一度確立された自我の孤立感といふものが見られない。他の民族や階級にたいして、それと自分とを隔てる距離が見えぬままに、べたべたと吸ひついていく。さうひふ感じがします。時の流れに対しても同様です。時流と自分との間の距離が見えない。ですから、実に安易に時流に乗ります。この時流とともに動く浮薄さは、ずるいとか無節操とかいつて責められるのですが、私は、そうひふことこそ日本人的だとおもひます。かれらには、べつに悪いことをしてゐる意識はないのです。他人や自分をいつはつているともおもつてゐないのです。もつとすなほな気もちではないでせうか。かれらは人をだましてゐるのではなく、むしろ時流にだまされてゐるのです。つまり時流と自分との間の距離が見えないのです。」



「たとへば、西洋流の個人主義がいいとする。そこからただちに男女同権論をひきだす。そこまではいいのです。論まではいい。が、さて実行となると、どうなるか。当然、摩擦を起こすでせうが、諸君はまずその摩擦を起こしている自分の姿を眺める余裕をもたねばなりません。ここでも距離感といふことが問題になります。男女同権といふことと、それを主張し実行しようとする自分との間に、距離を置くことができるかどうか。すでにいつたように思想との間に距離を置かず、それに密着してしまふことは、自分の独立を失うことです。足もとが崩れることです。」
「私は日本人の昔からの短所を温存して生きぬけとも、西洋人の長所をものにしろともいひません。西洋的なるものと日本人との距離、一口にさうはいつても、それはひとによつてずゐぶんちがひがあることでせう。おまへも日本人だろうと押しつけがましくいふことはできません。なぜなら、私たちのうちには、すでに西洋が生きているからです。
すでにいつたように、あとはひとりひとりの道があるだけです。ただ、そのばあひ、どういう道を歩むにせよ、自分の姿勢の美しさ、正しさといふことを大事にして、ものをいひ、ことをおこなふこと、その限りにおいて、私たちは日本人としての美観に頼るしかないと信じてをります。」



福田恆存『日本および日本人』


去年書いた笠原和夫についての文章で、戦中「鬼畜米英」「天皇陛下万歳」を叫んでいた日本人が、戦後(天皇人間宣言マッカーサーとの会見も手伝って)あっという間に「民主主義万歳」「マッカーサー万歳」に乗り換え、軍部や戦中の指導者たちに責任を押し付けてしまったことについて、無責任で卑怯な変節じゃないかと批判的に書いた。
けれど、その後これらの文章や、 占領時代の5年間にマッカーサーにあてて日本国民から送られた50万通ものファンレターを編集した『拝啓 マッカーサー元帥様』(袖井林二郎編 中公文庫)などを読んでいると、当時の日本人自身の主観はちょっと違っていたんじゃないかと思えてきた。
特に後者は、自分が子供の頃から直に触れてきた老人達の印象とかなりかぶる。
辛い戦争体験、貧困や苦労を語りながら、敗戦を悔しがったり、同胞を殺した敵を恨んだりしている様子がない。
戦時中は軍部にみんな騙されていたと言い、一方天皇陛下への敬意や愛情はまったく変わらない。
学校で近代史の勉強をした後などには、そういう年寄り達の曖昧さを「ずるい」と感じたりしたが、かと言って実のところ、本人達が本音を誤魔化したり、嘘を言っているようでもない。
現在の正論から公式的に「間違っていた」と言われれば、「その通りだ。戦前は悪かった。」とあっさり認める。でも、苦労話などを別にすれば、本人たちが本当には戦前を嫌だったとはまったく思っていない様子が伝わってくる。
何と言うか、「反省」という概念が、リアリティのあるものとして彼らの中にある気がまったくしないのだ。
こう書くと、ふてぶてしくて喰えない人物像を想像されそうだが、実際はまったく逆。むしろ、こだわりなく、状況をするすると受け入れてしまう。素直に長いものに巻かれ、何でも水に流す。
一言で言ってしまえば、単に「受身でお人好し」なのだ。
そんな彼らの性質を自分がどう思っていたかというと、現代っ子なりの反発も当然あったけれど、深いところでは決して嫌いではなく、むしろ好きだった。



「戦争」とか「年寄り」の話をしていると、自分達の現在、現実から遠いものと感じられるかもしれないが、現実の筋道をはっきりと直視し、それにこだわって、自分の立場をはっきりさせるような生き方を人生観の第一義に置いているような人は、本当のところ今もほとんどいないんじゃないか。



例えば高校の頃、こんなことがあった。



http://d.hatena.ne.jp/bakuhatugoro/20060819に続く

日本を思ふ (文春文庫)

日本を思ふ (文春文庫)