ビートたけしの昭和


『キャプテン』からの連想で『キッズ・リターン』を思い出して以来、ずっとたけしが気になって、「宝島30」創刊号の、吉田司によるインタビューや、「ナンバー」の辰吉vs薬師寺戦の号を引っ張り出して読んだりしている。
特に「宝島30」の方は、当時も本格的に吉田司に興味を持つきっかけになっただけあって、「差別と暴力とマザコン」というテーマに、吉田司自身がちょっと自縄自縛気味でそれが「図式」になり過ぎてるところを割引くと、今読んでも凄く面白い。
「ヤクザは外で人の親父を自殺に追い込むようなことやってても、身内には優しいから「いい人」ってことになる」とか、「15くらいの頃はカツアゲばかりやってた」「自分みたいな育ち方してると、まわりはヤクザだらけ」とか、結果的に『キッズ・リターン』のネタ出しになったんじゃないかって話もたくさん出てくる。

「土方ってのはさ、バーなんか行って、隣にキレイなねえちゃんがいても、自分は絶対にモテないことがわかってるからさ、ムチャクチャ言うわけ。「この野郎、汚ねえオマンコしやがって、見せろ!」とかさ(笑)。「こないだやったオマンコ気持ちいかったなぁ、五年ぶりだったからなあ、内臓が出たかと思っちゃったぜ」(笑)。ビーッてハナかんでさ、女の子が「汚い」なんて言うと「てめえなんかほんとはチンポしゃぶってるくせに、そっちの方が汚ねえじゃねえか」(笑)。」
「おまえらみんな毎日クソも屁もしてるくせに、気取りやがってこの野郎って。それは自分が差別されてるって意識からなんだよね。なんだ、てめぇら、ジロジロ見やがって、って言うけど、見てないのにね(笑) でも開き直っちゃうわけ。だからオレはほんとに土方が好きなんだよなあ。」

なんて与太も楽しい。鬼瓦権造や亀有ブラザーズだけじゃなく、オールナイトニッポンで『西武警察』〜『あぶ刑事』の頃の舘ひろしを「ショウリョウバッタみてえなツラしやがって」と落としたり、ついさっきゲストに来てた人気絶頂期の薬師丸ひろ子を「ミス大阪みたいな顔しやがって」とかネタにしてて、大笑いさせられたことを思い出した。


しかし、『キャプテン』にしてもそうなんだが、たけしも、当時はあまりにも「みんな」が好きなのが「当たり前」過ぎて、自分が特別に入れ込むって対象では正直なかった。いや、たけしについては、本当のところ最初は苦手意識もかなり強かった。
彼のまとっている「リアルな貧しさ」が、当時の自分にとってはあまりにも日常の風景でありすぎたからだ。
小学校5、6年の頃だったか、NHKの「600こちら情報部」か何かでマンザイブームが取りあげられていて、B&Bザ・ぼんちと一緒にツービートが出ていたんだが、たけしの落ち着きの無い尖り方と毒の強さが、際立って不快だった。でも逆に言えば、圧倒的に印象に残った(「THE MANZAI」とかは、親にテレビが制限されていて、満足に観ることができなかった)。
ひょうきん族』のレギュラー番組化と、中学に入るのが同じ年だったってことも大きい。
ついこないだまで半ズボンだった小学生が、いきなり校内暴力全盛の中学に入り、ボンタンにハチ髭、ひさし頭の先輩との「縦社会」に触れた衝撃。それは、『熱中時代』や『24時間テレビ』的な微温的な一体感を愛していた自分が、『ひょうきん族』の「剥き出しの本音」に感じた違和感と重なった。


貧乏な悪ガキの中でも、根に繊細さがある分、それが悪意やシニカルさとして表に出ていて、しかも力関係に敏感な分ワル知恵の働くタイプ。このテの人っていうのはガキの世界に限らず、近所や親戚のオッサンの中にも必ず一人くらいはいて、ケンカが強くて場を仕切っているボスタイプよりも、彼らとの衝突の方が、根がナイーブなボンだった自分には日々の葛藤としてよほど大きかったし、実際相当痛い目にもあってきた。
たけしは貧困と暴力が「当たり前」に剥き出しになっていた時代の下町に育って、そこから脱出しようとする気持ち、成り上がろうとする気持ちと、でも確実にそこで育ったという「刻印」の両方を持っており、だから、片方で「人間なんてのはこんなもんよ」という同世代の共有感と、キレイゴトが風化した80年代的な新世代の「本音」の両方に訴える。それが、田舎に根付いていない(しかしがっちり捉われ、縛られてはいる)、固い教員家庭に育った自分には、彼の二重基準によって、片方ではナイーブな坊ちゃんぶりをスケープゴートにされ、もう片方では時代遅れのカッペ扱いを煽られているようでキツかった。


彼のような「リアクション」で世間に取り入る処世をやるタイプというのは、決して根っからの強者ではない。ただ、世間に根付くことが否応無かったから、その手ごわさを心底身に沁みている分、俺のような甘ちゃんとの衝突が起るのだ。
旧世代において、彼は決してメジャーな強者ではなかったからこそ、世界に対して殊更「シニカルさ」を強調した視点を持つことができたし、それで新時代に食い込むことができた。そうして「一抜け」を狙った彼だけれど、やはり世間の本当の怖さを忘れない。インタビューでも「過去が忘れられなくってね。オレって前時代の遺物ような気もするんだけどね」と語るように、彼の根っこは確実に過去の方にあるが、それは激しく愛憎相半ばするものであり、そういう意味では過去からも新時代からも浮いている。そんなマイナーな不安定さを持つからこそ、芸人としてピークにあった頃から既に『たけしくん ハイ!』や『浅草キッド』のような、「下町」とか「浅草」とかいった大きな括りに寄って、ベタに旧世代への郷愁を売るような方向も必要になってくる。


そうした彼の二重基準の処世は、旧世代の大物から、

「人を肴にして商売するのがトーク番組のはやりだな。自分の私生活まで肴にして稼いでいるバカもいるし...。てめえの私生活を肥やしにして芸にしなくちゃいけないよ。そこから芸人としての商売を始めるんだよ。馬鹿が多いや。」
「たけしは素人っぽいことをして当たったから、当たりはじめて古典を学び、その古典のよさを下らない番組の中で使い、自分だけは進歩しているようなことを言うから、周りの芸能人や同業者からヤキモチが生まれてくる時期に来てるんだよ」
勝新太郎『泥水のみのみ浮き沈み』)



「(彼の)パンチは常に不特定多数の世間サマに放たれているもので、自分の身に損害が及ぶようなものには絶対に向けていない。」
「リング脇でみせているシャドウボクシングでしかないのだ。リングに上がって、しっかりと敵を見定め、たとえ己が肉体が砕けても敵を倒さんとする真剣勝負のパンチではないのだ。」
笠原和夫『これは絵葉書の連続スライドである』)

てな具合にバチンとやられ、その度に彼は頭を垂れてみせる。勿論、当時の状況において人心を掴み、受け入れられていたのは圧倒的にたけしの側であり、大物たちこそ前時代の遺物的「埒外」の存在で、そのことをしっかりと計算もしていたと思うが、片方に圧倒的なものへの畏怖というのも確実に持っていたと思う。そして、だからこそ、彼は頭を垂れつつも、益々その時代の世間の方を向き続け、勝ち続けようとし、そこに虚しい笑いのようなものがまた生まれる。



こうした「怖い大物」や「実態としての世間」が過去になり、ノスタルジーとして安全に語られるようになった「昭和」のイメージの中に、彼はなかなか登場してこない。それは彼の、こうした不安定でマイナーな、「個的」な生々しさ故という気もする(「空気」になることで、逆に権威になる森繁的な処世を学び身につけたタモリは、一方で「通好みのサブカルチャー」に安全に収まり、「昭和」として回顧もされやすいことと対称的に。さんまに関しては、根っからの「男のおばちゃん」だと思っているので、才人だとは思ってもその在り方に俺は全く関心がない)。
しかし、そうした「個的な飢え」と上昇志向ゆえの、不安定さ、生々しさのリアリティこそが、俺にとっては「昭和」そのものだったりする。



芸人としては言うに及ばず、映画の方も、生理の衰えと共に「即興詩人」としてのパワーを失って以降、大物達に指摘されていたプロとしてのスキル不足が顕在化して、中途半端なところで苦戦しているように見える彼だが、ここから上がり目があるかどうかはともかく、一個の人間の在り方、その戦いの在り方として、彼の今後にはとても興味がある。