「キャプテン」と阿久悠


ケーブルテレビでのアニメ版「キャプテン」「プレイボール」熱が嵩じて、原作を単行本で全巻買い直してしまった。各巻の後書きを、何故か当時の音楽関係者たちが書いている。主にあがた森魚とかガロとか海援隊あたりのフォーク系の人が多いんだが、これが全然面白くない。口を揃えて「やさしさ」だの「あったかさ」だの、当時の軽音部の部室の壁に書かれた、雑駁で浮ついた落書きみたいなのばかり。
その中で、圧倒的に突出していたのが、阿久悠の文章。これには唸った。
自分でも言語化できてなかった、「キャプテン」の魅力の根本を、深いところで見事に言い当てていると思った。
短い文章なので、以下全文を引用する。

ぼくらの年代の人間(戦争が終わった時、小学生だった年齢)にとって、野球というものは競技やゲームではなく、宗教だったのです。
もしあの時、野球というものが存在しなかったら、ぼくらは心のよりどころを見失い、どんなふうな成長の仕方をしていただろうかと、空おそろしくなる時があります。
今、ぼくは、戦後の少年たちと野球の関係について、さまざまな方向から研究したいと、資料を集めています。それというのも、どういうきっかけで野球をはじめ、誰から教えられ、何に魅かれてあのように夢中になっていたのか、かんじんのところが何ひとつ思い出せないからです。
とにかく、不思議なことに、日本中の少年が、1、2、3の掛け声で同時に野球を覚え、その信者になったことは確実なのです。ぼくは、戦後の野球を研究することが、戦後の日本と少年を研究することになると信じて、大きなテーマにしたいと思っています。
さて、それほどに関心を持っていた野球が、ここ何年かですっかり堕落してしまい、ぼくは怒り、嘆き悲しんでいたのです。たんなる見世物で満足している姿にたまらなくなっていたのです。
何といったら、わかってもらえるでしょうか。むずかしくなりますが、野球が会話をしなくなったということです。
その嘆きや悲しみや怒りが、「キャプテン」を見た時に、スッと晴れたのです。それは夢の中で遠い昔の一番いい風景だけに色がついているような、そんな感じで受けとめたのです。
あっ野球がある。あっ少年がいる。そんな感動です。
近頃、”友情”ということに大きな関心が寄せられているようです。しかし”友情”という言葉で、理解しないようにしてください。
この『キャプテン』は、それを語っているように思います。永遠の野球少年として、ちばあきおさんに、そして「キャプテン」に、大拍手を送りたいのです。



「野球がある!少年がいる 「キャプテン」に寄せて――」 (1975年)


この数年後、彼は「瀬戸内少年野球団」を書いた。


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