感情労働


マイミクさんでもある同業者、まっちゃんの以下の日記が、大変興味深いです。

http://d.hatena.ne.jp/border68/20060123




ただ「ニートっていうな」「人間力っていうな」って方向も、これはこれで果てしのないことだと思うんですよね。
現在の自分が置かれている社会の変化や、そこから起る気質や人間関係の変化を対象化することはとても重要なことだけど、例えば、数値化できない人間の強弱や、気の付く、付かない含めた気質や癖ってどうしようもなくあって、そこに拘ると際限がないから、どこかで「大体の」基準を社会に設ける。そして、それが現実離れしすぎないようにそれを微調整していく(しかし、それが微調整でしかないことは、前提として自覚しておく)ってことが、ものを考える立場の人、考えてしまう人には大切な気がします。



紹介されている本自体は未読なんですが、大雑把なのは社会やマスコミだけじゃなくて、過剰にセンシティブな自分の特殊性を割り引いて考えることの出来ない、「考える人」の問題もあるように、どこか思います。
気ばっかり人並み以上に使って、キャパや能力の方は半人前な(そして、それをどうにもできない)自分のような人間としては...



最近たまたま、10年ほど前のスタジオボイス「特集 昭和の肉体」をめくっていたら、小田島隆氏による

明治大学野球部の島岡御大が発明した「人間力」という言葉が、私は好きだ。意味こそはっきりしないながらも、不思議なパワーを感じさせるからだ。」



「こんな時代に生きていると、つくづく昔が懐かしくなる。ぞんざいで、忘れっぽくて、無神経で、ただただ元気だったあの頃、「種としての人間の文明的犯罪」みたいな津田塾的社交会話は存在していなかった。私は、単なる身長134センチの開発推進論者で、ドッジボールで赤組に勝つことだけを念じていればそれでよかった。」

といった文章を発見。実は半分これに触発されて、先日の「キャプテン」についての日記を書いた。