ホリエモンにはあまり興味ないけど

bakuhatugoro2005-02-24



というか、フジが勝とうがライブドアが勝とうが、俺たちにはどうしようもないしどうでもいいよって気分が濃いけれども、例のフジ側の会見でのニッポン放送亀渕社長の風情と言動は、ちょっと感慨深かった。
彼は、まだ海外旅行なんて大衆には思い切り縁遠かった60年代末、ロック革命吹き荒れる西海岸に渡り(確かニッポン放送の特派員としてだったかな?)、フィルモアでジャニスやドアーズをナマで体験した本当に数少ない日本人だった。
ロック通のディスクジョッキーの草分けの一人であり、初期のニューミュージックマガジンの常連レビュアーでもあった。

しかし今、守旧派の既得権を権威ヅラで主張し、乱暴な新参者をはじき出すべくエグい言動を繰り出す立場に。
しかも、列にきっちり加わりながら、身内を向いての殊勝な「いい人ぶり」が垣間見れて、尚更「世間」が匂う。


俺自身は、物事の急激な変化によってロクな目にあった試しが無いので、積極的にホリエモンのような人を支持する気にもならないし、かといってあのフジのお偉方の「自分たちが社会だ」とでもいうような思い上がったツラも大嫌い。
が、あんまり意固地になるといつの間にか取り残され、おまんまの食い上げに...ってのも現実なので、様子を伺いながらそろそろ遠巻きに世の流れについていこう、ってくらいの生き方してるところ。
けれど、そんな俺にも「本当に強く願えば、そして、そう行動すれば(少なくとも自分の)世界は変わる」という気持ちでロックにはまり、精神的な拠り所にしながら自我形成してきた過去は確かにあり、それは要領よくやりたい、やらなきゃ生きていけないって現在と、今も葛藤を生む。
もちろんこうしたピューリタン的なナイーブさの限界と罠もさんざん身にしみてきたし、それが自堕落や自己憐憫、傲慢な独りよがりの温床になりがちでもあるってことも分かってる。


しかし今、「強く願ったもの」だけがその末路を激しく裁かれているのに比べ、亀渕社長のようなあり方って、ある意味現在の文系子女の理想的進路だったりしそうで、それが俺にはどうにも憂鬱なのだ。
仕事もデキるが、プライベートじゃ反体制気取って適当にハメもはずす。
でも、最終的な保身には躊躇なし。
結局要領よく、楽しけりゃいいよねって、そんなのただの「処世」自慢でしかないじゃないか?


「ロックは音楽だ!」って反論がすぐ聞こえてきそうだけど、少なくとも当時のロックはただの音楽じゃなかった。
やってるヤツにとっても聴いてるヤツにとっても、「趣味」や「教養」なんかじゃなかった。
その時考えてたことが全部正しかったとは言わないし、美化するつもりもないけれど、無かったことにするのは切実に生き、模索し、表現してたものに対して失礼だ。


だから俺は、これだけは亀淵社長(のような人)に言っておきたい。
もし、考えが変わった、あの頃は間違ってたと思うなら、ちゃんとそう言えよ。
自分にとっては、最初から気分とポーズ、相対的な趣味でしたってことならそれはそれでいい。
ただ、ロック全般がそうだった、なんて顔はやめていただきたい(そんな意識さえ無いんだろうけど)。


「ステージの上と下が違ってたらインチキだ」と、ジャニスは言った。
聴く機会自体は少なくなった今も、ジャニスをフェイバリットロッカーと考える俺は、こういう人が語る「ロック」を、金輪際認めるつもりはない。

「私は人生が上り坂で、いつか傾斜がなくなって平坦になるものだと思ってた。でも分かる? 平坦になることなんてないのよ。傾斜はさらに激しくなっていくの。だから80歳になって死ぬ時は「何か間違ったことしたかしら?」とか言って死んでいくんでしょうね。」
デヴィッド・ドルトンのインタビューより