よいお年を!

bakuhatugoro2004-12-31

年の瀬の街の、寒さの中の熱気と華やぎが好きだ。
今年の12月は個人的にとても大きなことがあって、年末の街に繰り出す都合が、物理的にも気持ちの上でもなかなかつかなかったけれど、昨日、今日は、高円寺、中野、新宿と、久しぶりにゆっくりぶらつく。
が、大晦日ってのは、年の瀬も終いの慌しさで、昨日までとは街の空気が一変してしまっていて、ちょっと寂しい。しかも今日は今年一番のしんとした冷え込み。出かけに降り始めた粉雪が、駅に付く頃には本格的になり、新宿を降りるとちょっとした吹雪になっていた。


去年に続いて、ディスクユニオン新宿店和モノフロアのレア盤放出バーゲンへ。しかし、今回は強力な出物が並びすぎてて、却って一枚も手が出ず(大物の数々を見送ると、却って手ごろな小物だけ買って帰るのが虚しくて、つい全部見送ってしまう)。
しかしあれは、はっきり言って、こっちの中古盤屋回り始めて以来一番の品揃えだったな。マニアの増加やネットの普及による流通の増加で、10年程前には実物見るのも困難、たまに見かけても壁張りの高嶺の花だった盤が、今は普通の街のレコ屋でも結構普通に手に入ったりする(その辺の事情は、古本業界も同じ)。首都圏きっての専門店がネットや他店ときっちり差別化をはかろうと頑張った結果が今回の物凄さか。
最近はそうした状況も定着してきたこともあって、レア盤の馬鹿高さも需要と流通量のバランス(マニアは確かに増えたけれど、流行に関係なく何かに一定以上の執着を示す人の数はそう滅茶苦茶には変わらない)の中でかなり落ち着いて、まったく手が届かないような値段じゃない(が、普通に買える値段でもないのが、尚更微妙な心持ちにさせる...)。
今回はロックパイロットのアルバム(実物見るのは初めて!)に後ろ髪引かれまくったけど、泣く泣く断念。


帰り、粉雪で髪を白くしながら中野ブロードウェイに寄ったものの、まんだらけ、トリオは休み。
レコミンツのDVD館で神代の『濡れた欲情』買うか随分悩むが、結局これも見送り。
ここでも『濡れた欲情』の代わりに手ごろな物買って帰るのが嫌で、結局手ぶらで帰宅。来年もこの「学生経済」は続きそう...


毎年恒例となっている、大学時代の友人連中との格闘技観戦を今年は遠慮して、先日ヤフオクで落とした『シナリオ』の「もどり川」と「海ゆかば」の特集を読みつつ、ながらでサップとレバンナの派手な殴り合いや、ノゲイラヒョードルの律儀な死闘を眺めながら(今年は好試合が多いね!)、今これを書いてるところ。
荒井晴彦笠原和夫が、それぞれの自作に寄せた創作ノートが素晴らしかった。
荒井の無頼派になりきれないナイーブな面倒くささ全開の自虐芸もいいけど、やはり笠原和夫の背筋の伸び方は圧倒的。
実は『昭和の劇』にも再録され、以前ここでも引用した『今、が嫌い』http://d.hatena.ne.jp/bakuhatugoro/20040619がそうなのだけれど、そこではカットされていた後半部分を更に引用。

摩天楼が空を隠し、チリ一つないペーブメントに瀟洒なレストランが立ち並ぶ今の東京は、わたしにとっては幻としか見えない。「嘘の固まり」と言ってもいい。


貧しさが再来せよ、と願っているわけではない。貧しく暮らすようにしたい、と切実に思い始めている。
日本は、今だって貧しい国のはずなのだ。今の豊かさは、誰かに押し付けられた豊かさに違いない。そういう押し付けに慣らされてしまって、遊びと浪費に頭の先まで漬かってしまっている若い人を見ると、虫唾が走る。
食べ放題に食べ散らし、マイカーを乗り回して、パーティだ、ゴルフだ、ギャンブルだと浮かれている人たちが、「反戦平和!」と拳を振り上げる図くらいおかしいものはない。
火種を世界中にバラ撒きながら、自分だけは安穏でいたい、というエゴイズム以外のなにものでもないではないか。
それを言いたいのなら、その前に、貧しさに返るべきであろう。無一物、とは言わないまでも、老子が言う「根ニ帰ルヲ静ト曰フ」―の「静」に身を置くべきだろう。


わたしは富める階級では無論ないけれど、貧しいというほどの暮らしでもない。それでも、身も心も病んでいる。その因は、貧しさを忘れているからに違いない。<戦前>を書くことで、失われたものを取り戻したい、というのは、すこし大袈裟に言えばいまのわたしの生理的な要求でもある。


ただ、いつも<銭になる>戦争場面ばかりが多くて、<戦前>そのものが一貫して書ききれていないことには、憾みが残っている。
なんとか少しずつでもそういう方向に持ってゆきたい、と思う。これからも謂うところの<戦争映画>を、仕事さえあればいくらでも書いていくつもりでいる。
これは、わたしの<青春映画>なのだ。


海ゆかば」のシナリオの創作ノートということで原稿の依頼を受けたのだが、わたしが書く必要に迫られたのは以上のことだけである。
期待に反したと思われる読者がいたら、お許しを謂う―。


豊かさや、それを欲する欲望への否定や懐疑が最大のタブーである昨今だから、アナクロだの反動だののツッコミがすぐ入りそうだし、俺自身笠原の言い分にもろ手を挙げて同意するには豊かさに浸りすぎているけれど、なし崩しに現状と馴れ合っているだけの自分達の問題点や否定面をそこで合理化して恥じないような態度は、更に薄汚いと思う(それは往々にして、「敢えて」とか「断念」なんてエクスキューズで繕われていがちなものだけど)。
今、過度に観念化しない形で倫理の線を引くことはなかなか難しいけれど(笠原自身、再録からこの部分をはずしたのも、そこに面映さを感じてのことと想像)、矛盾や分裂を抱え、意識しながらこうした留保や葛藤は、片方で絶対に手放さずにいたいと、あらためて思う。