自然科学的な客観性と探求欲
芸術的な観照と官能
道徳的な潔癖と抑制
宗教的な没入と諦観
これをみんなかかえてどうやって生きていくか―が依然私の問題だ。はちきれそうな頭を抑えて時々思案にふける。


神谷美恵子 30歳の日記より


最近読み返して、深く共感しているフレーズ。
彼女のように才能も、志を貫徹する真摯な意思も卓越した人と、自分のような自堕落な凡才を同列に考えるのはおこがましいが、そんな俺でもここに挙げられているそれぞれに美徳と考えられているフレーズが、実はぞれぞれ互いに否定しあっていることに葛藤が起こる。
けれど、この中のどれかが欠けた状態への居直りというのは、実は無自覚なエゴへの居直りという、悪徳を孕んでいると思う。


特に後者2つは、昨今流行らなくなり軽んじられるようになっている分、自分が拘らなけらなきゃという気持ちにかられるけれど、本来そんなにストイックでも立派でもありはしないから、世の趨勢と逆に体重を掛け過ぎると不遇が募って恨みがましくなる。
人間、とりあえず腹が満ちた状態になると、後者が必要じゃなくなり、前者が人の本質的な部分と居直りたくなりがちだけれど、本当に色や欲と合理性に居直れるほど、大抵の人間は強くないというのも事実。だからこそ、「自分はそんなに悪くない」と、正当化の理屈や「うなづきあい」が欲しくなる。


そこに、欺瞞を感じ恥を意識できるかどうか、今いちばん自分がこだわりたいのはやはりそこみたいだ。イジコクならずに貫ける強さと体力が欲しいと、つくづく思う。


神谷美恵子日記 (角川文庫)

神谷美恵子日記 (角川文庫)