http://d.hatena.ne.jp/screammachine/20041023#p2のリファに応えて。
キャシャーンを庇いだてしようってわけじゃないんだよ。
描写の不足が何を意味してるかってことを、俺はここで書いたつもり。
例にあがってるサム・ライミなんかは、オタクでもある種、きちんと自分の分をわきまえてる大人だから、ちゃんと自分の扱う対象から距離が取れてるし、自分にできることとやりたいことの帳尻をつけた仕事をしっかりこなしてる。そこに評価基準を置いて、あなたがキャシャーンを評価し、批判するのはまったく構わないと思うし、そういうことはなされるべきだと思うよ。
ただ、構成とか、キャラクター造形が破綻した、全体のプロダクションがちぐはぐな映画が、何か監督の生理を結果として表現していて、それがある受け手に対しては魅力的であることっていうのはあると思う。そういうこともまた、俺は否定しない。
例えばある種のロックなんかが、その思春期的なテーマだけでなく、その稚拙さや破綻も込みで、ある種の説得力を生んでたりもするように。
勿論、そこにまったく魅力を感じず、その稚拙さに表現者の甘えを見出し反発するような感性もあるだろうし、それもそれであっていいと思う。それに、作り手自体がどこか、自分の未完成の魅力を自覚していて、それに依存しすぎた場合、そのことが彼の技術的成長を阻んだり、ある種のいやらしさを生んだりもしがちだと思う。
けれど、自分の技量や認識を超えたテーマやイマージュに挑んで破綻した作品が、無難に完成した作品よりもパワーを放っている場合は、往々にしてある。
映像の喚起力と言う点でも、『キャシャーン』とならべるのは無茶かもしれないけど、例えば『地獄の黙示録』に対して、テーマ設定における白人側の身勝手さやその破綻、構成の破綻から批判があったとしても、それはそれで妥当だと思うし、けれど、そうしたことを超えて、その混沌がある種のパワーになっていることもまた、否定できない事実だと思う。
『キャシャーン』には少なくとも、ある種の人々をムキにさせるようなパワーは、確実にあったと思うよ。
そして、演出にも脚本にも、技術が必須なのは当然だけれど、表現したいものがその形式を選ぶこともまた事実。テーマ、モチーフとそれへの対し方が、映画の価値と関係ないとは、俺はまったく思わない。そこのところを、上の文章で掘り下げたつもり。
脚本のみならず、芸術と名のつくものは、丹念な調査と綿密な計算の末に、一見無造作にも見える一行の文、一説の音、一筋の線を生み出すものである。作為がないのが今ふうだと称して、雑駁な人間が雑駁なまま放り出したものは、それこそ無造作どころか下劣な作為そのものである。
骨法などに捉われて、自分の「切実なもの」を衰弱させてはならない。わたしも駆け出し時代は、二、三日徹夜して一気に仕上げたものである。骨法なんて、まだ考えもしなかった、知りもしなかった。それでちゃんと映画になったし、商売にもなった。その中で腕も磨かれたし、感性も鋭くなったと思う。若い人はガムシャラにどんどん書くことである。
これだけ映画もテレビもその他もあって、映像の氾濫している時代なのだから、誰だって映像のおおまかな流れ具合は頭に入っているだろう。書くための予備知識はそれで充分。あとはただ書くことだ。大事にしなくてはいけないのは骨法などではない。体の内側から盛り上がってくる熱気と、そして心の奥底に沈んでいる黒い錘りである。
笠原和夫『秘伝 シナリオ骨法十箇条』より
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