何でも勉強です!

わたしは<今>が嫌いだ。<戦前>が好きだ。「良かった」とは言わない。「好きだ」と言っている。
どうして好きか、というと、みんな貧しかったから―というのが一番腑に落ちる。
貧しかったから、ビルも建たなかったし、車も走らなかったし、だから町はひとつひとつ違った皺の寄せ方を見せて、昨日から明日に繋ぐ生活があった。贅沢とか、虚飾とか、自己顕示欲とかには全く縁の無い人たちが、そこで一所懸命に暮らしていて、息吹きの一体感があった。生活とは関係のない抽象的な思想とか主義で人々が争うようなことはなかった。
空は澄み、風わたり、気は冴え、緑濃く、海は白く、純情であった。


物を持つことも、食べることも、「質素」でなければならないことは常識であった。そうして得たわずかな必需品は、だから、万遍なく愛着が籠った。乏しい食品は、だから、どれもこれもうまかった。無駄なものは買わないから、無駄な字を読まされたり、無駄なしゃべくりや音を聞かされることもなかった。ギャンブルが日常の会話に出てくることもなかった。だから、時間だけは豊かにあった。


その分―内なるドラマは旺盛であったと思う。志とも夢とも妄想ともつかぬ憧れが絶えず鞭を鳴らして追いかけてくるので、なんとかしなければならない。と、天に縄梯子を掛けて攀じ登るように克己に努めた。
級友たちの誰にも、そうしたドラマがあった。成績の良い友は、学業ばかりでなく、人格も優れ、武道の達人でもあった。「不良」で鳴らしている友は、自ら侠気をもって任じ、弱者を庇って強者にのみ立ち向かっていた。そのどちらでもないわたしのような平凡な生徒は、登下校を駆け足でしたり、鉄棒から逆さになって飛び降りる度胸試しで虚勢を張り合っていた。
国そのものが巨大なドラマの渦を巻いていたから、外からの刺激も強烈であった。
敵の爆撃機が超低空で頭上を飛び交い、視界一面が炎で染まった光景は、壮観でさえあり、痺れるような陶酔に浸った。直撃弾を受けた級友二人が即死して、その脳漿と鮮血が飛び散った中に立ったときは、自分が神になったかと思うほど勇気が充ちた。それは、歓びとも言えるほどの昂揚であった。


戦後は、異国の軍隊の占領という屈辱で、貧しさは心の底まで吹き込んできた。
都市という都市は丸裸の廃墟だったから、貧しさを通り越して<無>であった。その頃のことを思い出してみると、東京や新宿や深川へ出て行ったとき、わたしはいつもひとりっきりで歩いていたように記憶する。同行者がいない、ということではなく、周りに人が誰も居ない、という状態の独りである。
そのとき―東京は、わたしだけの都会(都会と呼べる状態ではなかったが)であった。だから、廃墟の東京こそが、わたしにとって現実の<東京>で、その意識はいまも変わらない。


笠原和夫『今、が嫌い』