その橋は本当に必要なのか

http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20040604

便利なシステムができてるからといって、それが本当に必要だとは限らない。


橋は物と人の運搬を便利にするが、だからといって橋が人より偉くなったり立派になってはおかしい。


建物は人が雨風をしのぐために作ったもので、人より偉くなってはおかしい。


会社は人が仕事をしやすくするために作ったもので、人より偉くなってはおかしい。


国や法律は人々の生活を守るために作ったもので、人より偉くなってはおかしい。


歴史や伝統は人が作ったもので、人より偉くなってはおかしい。


どれも人が作ったものだから、人より優位に立たせてはいけない。


「自然」と同じように、あらかじめあるものとカン違いしてはいけない

難しいのは、そうした間違いを正すための、政治や革命や運動も(正しさを求めることだからこそ)、人より偉くなりかねない、という逆説。


そして、それぞれの人が望むことは、一枚岩じゃないっていうこと。


「誰かの願いが叶う頃 あの子が泣いてるよ」


だから、人の願いの中で、何に何を優先させるか、僕達は考え、選び続けている。


そして選んだ現実は、どこまでいっても必ず何かを切り捨てた、酷薄なものであることは間違いない。


開きなおるんじゃなく、それは引き受けなきゃいけない。


自分の選んだ現実の酷薄さ、不完全さを「無い」ことにし、完全だと言い募ることこそ、本当に酷薄な傲慢を生むと思う。


そして、自分だけがそこを免れているつもりになって、他人の選ぶ酷薄を指差し叩くことで、自分の正しさを保証したようなつもりになってはいけない。


その上で、僕達はより良い価値、より良い選び方を、模索し続けなければならない。


同時に、選んだ価値から零れ落ちるものを、忘れてはならない。


それを含めて僕達の「人間性」だということを、忘れてはならない。


それが、人間を大切にすることだと僕は思う。