付記

こちらのhttp://members.jcom.home.ne.jp/w3c/omake/diary.html
6月1日分の、リファに答えて。
何も周囲の感想なんか覗わないで、あなたの意見を言えばいいじゃないの?とまず思うけれど、ひとつはっきり言っておく。
小林よしのりが高く評価されようがされまいが、そんなことはどうだっていい。
http://d.hatena.ne.jp/bakuhatugoro/20040424でも以下を引用したけれど、

江戸時代の町人は勿論、武士でさへも、二六時中、ひたすら忠を念じ、利己心と闘っていた訳ではない。彼等は適当に利己心、立身出世主義、享楽心の吐け口を持つてゐた。ただ、今日と異なるのは、彼等には文化があつたという点である。利己心を適度に発揮し、そのぶつかり合ひを適当に調整し、また時には巧みにそれを捨てる整然たる様式が存在したのである。それを、今日の吾々は制度や法で解決できると思ひこんでゐる。(中略)
だが、失われた文化を早急に、しかも人為的に再建する事など出来る筈が無い。率直に言って、解決策など何処にも無いのだ。それなのに一方では性急に解決策を提示したがる人々がをり、他方、それをありがたく押し頂かうとする人々がゐる。そこから馴れ合ひと欺瞞が生じる。さういふ事にはもう充分懲りた筈ではないか。
福田恒存『続 生き甲斐といふ事』より

こうした骨がらみの文化を失って久しい我々の誰もが、すでにサブカルだということをどう引き受け、そうした現実の自分達のあり方にどう対して行くのか、という問題に立ち向かう勇気を挫くようなズルさを、俺は問題にしてるんだよ。
議論や出来合いの基準に事寄せた他人の評価を目的化して、そこに自分のかりそめのレゾンデートルを求めるような姿勢はくだらないな、と俺は思うよ。