町山さんの一連の日記について、

http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20040528
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20040526
narkoさんのところに書いたコメントを転載。
http://d.hatena.ne.jp/narko/20040530


町山さんの日記については僕もまとめて書きたいんだけど、とりあえずコメント。民主主義、資本主義のいちばんマズいところっていうのは、どんなことにだって長短っていうのはあるし、制度が制度である限りどこか酷薄な「必要悪」って側面を持つってことを、忘れさせてしまっていること。貴族社会との違いは、人間は不平等であるということを前提に「ノブレス・オブリージ」が生まれることが原理的に出来なくなっていること。


あと、革命後の社会のいい側面というのは、自分達で選び勝ち取った自分達の国、社会だという矜持と責任を個々が持てるところ。日本の場合これを経ないまま、「世間」的な「みんなの」って精神構造がこれに取って代わっちゃってるとこに問題が生まれてる。神を前提に(近代以降はそれと戦い乗り越えるという形で)普遍的な価値や人間像を本気で問う伝統が日本にはそもそもない。だから、「みんなの様子を見て手を上げる」っていうのが、根本的な行動原理になってしまう。論壇やこのはてなも例外でなく、というかより顕著なように...


構造的に悪を指差すことに凄くシャープな町山さんの文章だけど、この前提がないことによって、伝わり方がやっぱり不安。悪を指差せば、自分達の中の悪が消えて正しくなれるわけじゃないから。とにかく盛り上がって社会が動けばいい、とだけは、やはり僕は思えないから。公平に彼のような仕事を認めながら、迂遠さに絶えて僕はそこにこだわっていきたい。


あと、http://d.hatena.ne.jp/bakuhatugoro/20040220でも書いたことだけど、町山さんが書かれてることって、出版社や編集者と、アーティストの力関係だけの問題じゃない。具体的なものづくりと、それにまつわる地に足の着いた技術で、アイデンティティを築くんじゃなくて、イメージや勝敗そのものが目的になって、お互いに煽られ続けてる状況の問題。逆に言えば、その構造を直視して距離を取れれば、今すぐ社会制度そのものを変えられなくても、生き方を変えることはできる。レゾンデートルを他人や社会に依存しない生き方に。