覚え書き「偽善と感傷の国」

5日の骸吉君の日記へのコメントを転載。
http://d.hatena.ne.jp/gaikichi/20040505

「民主主義は最善の社会を宰す最善の方法ではなく、唯単に最悪の事態を避ける為の消極的=防衛的方法に過ぎない、もしこれを最善の方法と考へたとしたら、民主主義ほど始末に負へぬ代物は他に無いであらう。」
「悪を抑へるという消極的行為はそのまま善を生む積極性に転じはしない。」
「人がもし個人の力を以って悪と闘ひ、これを抑へようとすれば、それは勇気といふ美徳に通じる、同時に、この美徳の花の根本には利己心といふ蛆虫も巣喰つてゐようが、この闘いは負ければそれ切りの結果論で処理されてしまふ。」
「それでは救はれないと思つた人間の「智恵」が個人の力の代りに機構の安全弁といふ物を発明した。さうなれば、強者の悪を抑へるのに勇気も要らなければ、その他のいかなる徳目もいらない、道徳の介入する余地は何処にも無くなった、万事は法と規則で片が附く。」
「民主主義は蜂起した大衆、即ち新時代の強者に対しても、その悪を抑制すべき役割を引き受けねばならぬはずだが、実情はさうは行かない。なぜなら、民主主義は発生的にも本質的にも悪そのものを抑制する道徳的原理ではないからだ。」
「彼等は「...してはいけない」という消極的な理念を、或は「...すれば、危険である」といふ防衛的理念を盾に、自己主張と自己正当化を謀る。」
「たとへば「反戦」といふ事であり、それは謂はば戦争の危険防止といふ消極的行為に他ならず、平和を持ち来らさうといふ積極的行為ではない。」
「私は民主主義を否定しているのではない、民主主義だけでは駄目だと言つてゐるのである。」
「恐ろしいのは利己心と怠惰と破壊と、そしてそれを動機附けし理由附けする観念の横行である。考へるとは今ではさういふ観念を巧みに操る事を意味する様になつてしまつた。」
福田恒存「偽善と感傷の国」

すべては「便乗の自己正当化」の論理になっちゃったってことだよね。
そういう意味では(骸吉君のとこの)4月30日のコメントで urasimatarou さんがリンクされている高橋源一郎氏の発言http://www8.plala.or.jp/cgi-bin/wforum/wforum.cgi/Kusimitama/bbsの投稿No.7379も、ネットのプチウヨも、便乗先こそ違え自分の中にある普遍的な利己心を他所に棚上げしてるズルってことでは同じ。


そういう意味じゃ、「鉄人28号」のつまんない空々しさも極まってきたな...