浅羽通明『アナーキズム』『ナショナリズム』

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これも、骸吉君のコメント欄に書いたものを加筆転載。
http://d.hatena.ne.jp/gaikichi/20040511


今回の「アナ」「ナショ」、今までの浅羽さんの著作の中でいちばん面白かった。初期には立場をはっきり打ち出す(ことを急いだ)ために、切り捨てられていた彼の趣味、というかみもふたも無いところでの感性的な本音の部分も含めて、今回はついに全面展開されてる感じで、彼自身懸案だった「華のなさ」を克服して余りある面白さだったと思う。
対立する特定の立場を批判するために、結論を急ぎ、短くなっていた射程が、人間そのものを(さらに大きなものを想定しながら)相手にすることで、グンと大きく伸びている。


「アナ」の竹中労とギロチン社関係の章にしても、「だめ」をとことん直視した果てに、「だめに良いだめも悪いだめもあるか!自分だけを正当化するような姑息さじゃなく、あらゆるだめをそのまますべて肯定するような態度を貫くことが、真のヒューマニズムであり、アナの理想」ってとこまで雄大につきつめられていて、それはしっかり「天上の理想」として胸に秘めながら、権力を「必要悪」として正当化すること無く引き受ける保守主義者の態度としっかり連結される(両者を繋ぐのは、理論への従属を拒む、リアリズムへのこだわり、という指摘もあざやか!)。個人の享楽を正当化しながら、「理想はほどほどにしておく」ようなセコイ妥協に居直りっぱなしの、神がいない(それに誰も気付かず、なくていいつもりで過している)現代に対する批判が、しっかりと立っている。


余談だけど、『キャプテンハーロック』についての章、「アルカディア号って実は宇宙でいちばん安全な場所だよな(笑)」という、我々も以前からよく飛ばした与太が、しっかり取り上げられ、批判として展開されていて笑った。
「豊かさに守られた上げ底の上の意識の脆弱さ」を自覚することはとても大切だと思うけれど、ただ、宇宙海賊を鏡像と見たオタク達はともかく、松本零士その人は、決して「明日のために今日も寝る」しぶとい駄目人間=ロマンチストのスタンスを、どんなカタストロフの中でも手放さないだけの、「いざとなったらサルマタ一丁」の覚悟は据わってると思う。
あの個人の「鉄の意志」の描かれかたの、理不尽な恐ろしさを見ても。
だからこそ、現在の若いオタクとの共犯関係(そして「庶民」でなくなった大衆とも)の築き方に失敗し、甚だしくズレてしまっているんだけど、最終的に覚悟のない者がどうなろうと眼中に無いんだろうな、と思う。
結局、そいつがやるか、やらないかなんだ。
(だから彼のマンガはどれも物語りとして展開はしない、一遍の「詩」だ)
それに比べると浅羽さんは、よくも悪くも全然「社会的な人」だと思う。