「歴史」と「経済」の方へ

最近、若い人と話してるととても強く感じるんだけれど(なんていうと、まるで俺が年寄りみたいで嫌なんだが...)、文化的なあるジャンルとか趣味、おおまかに言って「気持ちの問題」だけじゃない、現在にいたるここ数十年くらいの歴史の流れが、まったく知られていないことに驚く。
これは、みんなが基本的な主観、実感として「自分は自分の力、了見で生きている」と思えるようになった状況っていうのが大きいと思うんだが、そう思えることっていうのは、個人としての誇りを尊重できる、一見とても心地のいい状態なので、それが何なのか、ということを掘り下げたり、疑ったりする動機を持てなくなってしまっているように思う。


もちろん、そんな「今だけ」「自分だけ」という狭さや息苦しさに、生理的なところでは気付きはじめている人達も多くて、若者文化なんかでも、あまりソリッドしすぎずに「敢えて」ざっくりダサいのがカッコイイとか、かつての時代の記名性「匂い」や「ドラマ」をコレクトするようなアーカイブの動きも見られる。


けれど、それはやはり「感性」ってところに閉じていて、その限りでやっぱり他者との差異を生み出すためのゲームのアイテムになったり、個人的に耽溺する嗜好品というところに閉じてしまう。
勿論、それがいけないってわけじゃないが、それは「その人とか、その時代固有の匂い」にはならないんだね。
文化っていうのは、自分を自分たらしめている環境や状況と骨がらみの産物というか、その上澄みに咲く感性の花だったりするから、接ぎ木するだけではどこか「根の無い花」になってしまう。
そして、寄って立つアイデンティティの基盤がそれだけだったりすると、若い頃はいいけれども、その不安定な変転に追われてだんだん疲れてきてしまう(余程特殊な才能に恵まれるか、それが許される環境に守られるかでもしない限り)。


ダサいっていうのは、意識的に方向を絞り込んで、スタイルを作れないってことなんだけど、逆に言うと、どうして昔はダサかったかといえば、社会が丸ごと、ざっくり一枚岩のようなところがあったからなんだ。
つまり、逆にいえば、ある人の視界、広義の付き合いに含まれる人間、社会の幅が単一であるかわりに広いっていうことだ。
かつての名作の、一見大味だけど味が濃くて、懐が広い感じ、直に語られない情報量の多さっていうのは、そこから来ているんだね。
そして、いいも悪いも、自分は「ここ」で生きていて、その中では自分はこういう人間、こういう位置の人間だってことが突きつけられることで逆に、ある種開き直ったキャラの決まり方。


勿論、それが良かった、ただそこへ戻るべし、なんてことが言いたいわけじゃないんだ。ただ、歴史っていう縦軸を、そのまま人間の在り方の幅っていう横軸へとスライドさせて、人間について考える時の枠を広げるっていうのは、とても有用なことだと思う。
お勉強クンになれってことじゃなくてね、自分の願望との違和感を大切にしながら参照項として、そこからの自分の距離や指針を考えていく。
現在の「どこか」にきっちりはまって、馴染み、守られることができず、その中で「良くも悪くもこんな自分でしかない」という納得を持てないまま「自分」にこだわっているような人にこそ、本当はこうした姿勢が重要になってくると思う。


あと、直に人と「コミュニケーションする」こと自体が目的になったり、そのために各々の資質やキャラクターを云々して、裏目読みの自意識の無限地獄のようになっている様子を、はてなの若い人の日記からもよく見かける。
逆に、そこを一足飛びにスルーして、天下国家や左右のイデオロギーを云々しつつ、そうしたコミュニティにはまり込んで「赤勝て白勝て」状態(永久保存版http://www.jp.piko.to/藤田省三についての文章から拝借させていただきました)に陥っている人とか。


でもこういうこと、「敢えて」とか、「ネタ」とか「ベタ」とか、対処療法的にだけツッコミ入れてても、それぞれ「俺はわかってやってる」の不毛ないたちごっこにしかならないと思うんだな。
そうなってしまう、それにはまりたい動機の部分を解きほぐしていかないかぎり。


そして、例えばその地層になっている状況っていうのは、実はこういうことだったりすると思うんだな。
http://d.hatena.ne.jp/tido/20040217#1077007269
各々の中間層が、こうした状況の共有感を持ちながら、お互いに手を結ぶことが難しい。
だからこそ、中間層以下の分衆達の利益代弁者となる政治的な立場、勢力というものが存在しない。
今の野党に全然リアリティが感じられないのって、彼等がまったくその役割を果たそうって意志がないからなんだな。


ちょっと念を押しておくと、俺は若者の政治的無関心を嘆くとか、そういうことを言いたいわけじゃないよ。
若者の立場の不安定さに付け込んで、やたらと政治意識や変革を煽ったりしたいわけじゃないんだ。
むしろ、今のような流動的な世の中で、俺のようなドシロウトが「かく生きるべし」なんて方向を説くなんてことは怖くてできないし、極力慎みたいと思う。
ただ、みんな下部構造の流れが視野に入ってないというか単純に知識としてないので、今自分を取り巻く状況と、マクロな社会状況や政治的争点とが、まったく繋がらず、切り離されちゃってるな、ってことにちょっと危惧は感じる。
これ、実は本当は大人だってそうだと思うんだけどね。


どうしてそうなったのか?
一言で言っちゃうと、日本中がみんな「消費者」になっちゃったってことなんだな。


この話、ちょっと長くなりそうなので、続きはまた後で。