監督が東映の職人監督中島貞夫だけあって、

手堅いエンタテイメントとしてまとめられてはいるのだが、通俗ヒューマニズム的な感動巨編としての仕上げと、サンカの近代社会とは異なるリアリティを強調しようとした演出(藤田弓子が川辺の移動テントの中で、ひとりで出産するシーンや、殿山泰司が山間で息絶え、野犬にはらわたを漁られているシーンなどなど...)がちぐはぐな部分も散見され、取ってつけたようなセンセーショナリズムっぽく映ってしまうところもあった。(とはいえ、ショーケンの実直な「静」の演技には初期とはまた違った魅力に溢れていたし、おばちゃん役の印象が強い藤田弓子の、野生の色気を垣間見せる熱演には予想外の驚きがあった)
戦争に向けての国家総動員政策の中で、サンカが戸籍や徴兵を強制されていく過程や、本編のクライマックスである、サンカの娘と村人の若者との恋愛の描き方の、土俗的な「性」を強調したノリから通俗的な純愛、感動路線への展開、接続も、未消化かつ無理があって、虚構とリアリティのさじ加減が、根本のところでぶれているような違和感がずっとつきまとった(そのせいもあって、この時代独特の、妙に明るくてクリアすぎる発色のフィルムの質感も気になったし、ショーケン、井上尭之、速水清司によるリリカルで叙情的な劇伴にも、残念ながら酔いきれなかった)。


が、だからつまらなかったかと言えば、まったくそうじゃない。むしろ、「反近代」というイデオロギーの中で土俗をあらかじめ美化するような視点が完全に風化していて、同時に拡大し続けた果ての袋小路で喘いでいるような今こそ、こうした企画に取り組む期が熟しているように思ったし、関心を刺激されるゆえに、未消化が残念だったし気になったという感じ。
自分達の存在を越える「自然」という大きな存在に律せられたシンプルで敬謙な(それゆえに、我々近代の側からは野卑にも感じられる)生き方を守るサンカ。生延びるために強引な近代化政策を取らざる追えなかった日本近代の光と闇。それぞれのリアリティを加工することなくそのまま描く事だけで、というかそのほうがむしろ、近代の限界を見据え相対化しつつ、その延命と地に足のついた方向転換を測るためにも、そして何より自分の小さなリアリティを揺るがされることのない蛸壺の中、「自分以外バカの時代」(吉岡忍)で窒息しているような現在に、新鮮なインパクトを持つと思うし、必要とされているように思った。


本当、安易なサイコ路線や極端にどぎつくキッチュサブカル的フィクションの「狭さ」には、食傷して久しいから。


参考サイト
http://www4.inforyoma.or.jp/~mai7665/1985j/04.htm