あと、前回配付した小冊子「君は『アフリカの光』を見たか ?」を

再録UPしました。http://www.axcx.com/~sato/senbikiya/event1108a.html

これ、改めてディティール膨らませた形で、ちょっとしたミニコミにまとめ直そうと考えてるんですが、とりあえず、字数の関係で入りきらなかった部分を多少復活、補足したので、冊子ご覧になった方も、よかったらご覧になってみて下さい。
冊子の方で詳しく書いてますが、『アフリカの光』は、ショーケン主演作としても、神代辰巳作品としても、というか僕の観てきた映画の中でも、エクスキューズ抜きに、本当に凄いと思う一本です。


先日も高円寺レアで神代ロマンポルノ第一作『濡れた唇』のビデオをゲット。勢いで『嗚呼!おんなたち猥歌』も久々に観てしまいました。
神代作品、ダメな人間を、変な意味付けや言い訳を与える事なく、ただダメなままに描くということに関して、本当に徹底している。変な救いを与えたりするような現実に対する不遜さも皆無な変わりに、自分も含めた人間の駄目っぷりに対する許容力が本当に凄い。
本来、そういうことに敏感になってしまうような(なりすぎてしまうような)、そして、だからこそ生きていくための歯の浮くような意味付けに乗れなくて、所在無くシラけてしまうような、聡明でセンシティブな人だったのだろうと想像する。結果、彼の映画はどれも、ストーリーが俳優達の生理をひたすら描く事の後景と化してしまっているので、こういった種類の映画を見慣れない人には最初取っ付きが悪いかもしれない。というか、信じるものが無いからこそ、生理を描くことにだけ潔癖になり、「何となく生きちゃってる」という生き方を徹底した結果、意味とか社会性とかいったものから本当の意味で遠ざかった、モノホンのダメ人間ぶりばかりを描くヤバい人になっちゃってるので、単純にこんな自堕落なしみったれはキライ、イヤ、という人がいてあたりまえだし、それでいいと思う。


ただ、嘘や誤魔化しのない、本当の意味で優しい映画だとは思う。
そこには、甘えを排して正しさやまっとうさを賞揚するような、普通の意味でのストイックさは無い代わりに、どうしようもないものがどうしようもないことを、否定も肯定もせず、ただ描く清々しさ、何も排除しない強さがある。


『濡れた唇』は(『恋人たちは濡れた』なんかも同様だけど)、『傷だらけの天使』の修と亮が少女とひなびた田舎道を延々じゃれ合いながら旅する「草原に黒い十字架を」の原形のようなロードムービーだった。作為のない、無邪気な共同体が「長くは続かない」という、儚いラストを含めて。
『嗚呼!おんなたち猥歌』、本当に「身から出た錆」としか言いようのない、手前勝手な自堕落によって男娼にまで身を堕とした内田裕也演ずるロック歌手が、トルコ風呂の白っ茶けた空気の中で、肌の緩んだ年増女と泡まみれで絡み合うラストシーンに、ロック版「マイウェイ」とも言うべき『ローリング オン ザ ロード』(「さよならウエスタンカーニバル」で、ショーケンとジュリーが共演したバージョン)がかぶるところには、シニカルな意味でも何でもなく、本当にシビレタ。シド・ヴィシャスのマイウェイも目じゃない、究極のダンディズムだと思った。