「SWITCH」別冊『ISSUE』菊池武夫特集

ショーケン菊池武夫の対談を読む。2chショーケンスレッドなどを覗いていても感じる事だけど、「サブカル」なんて言い方で細かくバラける以前の不良や、その話し振りには、何とも言えない色気があって本当に憧れる。誰も彼もがタガが外れている事にはじめから居直れるようになった結果の寒々しさや荒みと逆の、選ばれた人間によるロマン。ただ懐かしんでも仕方が無いけれど、逆らい難く惹かれてしまう。同時に、やはりこれが認められない、少なくとも現代の寒々しさが実感できないような感性は、どうしよもなく貧しいと思わずにいられない。


「人も衣装も音楽も、あんなに揃っていた時代が羨ましい」なんて声もよく聞くけど、それは違う、逆だ!と思う。むしろ何でも揃いすぎている、敷居低く、誰もがやすやすと情報を手に入れられやすすぎるんだ。ただそのことをグチって、そこから自分だけが自由な顔を気取ったってはじまらないけれど、自分達の趣向だけに、安易に閉じているだけでは、やっぱり人間や表現のポテンシャルが上がらない。そういった狭い意味でマニアックな文脈に躊躇無く淫する事が、ハンパに受け入れられる近道だったりするから、それを「メジャー」と勘違いして居直ってるセコいヤツばっかり増えるしね。
うまくまとまらないけれど、なんていうか、確信犯で「こうでしかない自分」の資質を受け止めるプロセスをしっかりと踏み、突っ走りながら、片方で自分に無いものに対する畏れや敬意、プレッシャーを誤魔化さずに持ち続けること。憧れを維持すること、それだけで全部が随分違ってくると思う(ま、強制力の働かない状態でそのプロセスを踏むことこそ、いちばん難しい事かもしれないが)。