すっかりこちらでの告知が遅れてしまったけれど、

骸吉君もふれているように、線引き屋HPの方に、奈落君とのヤンキーロック特集校了記念対談をUPしました。
題して「横浜銀蝿身分制度」。
なんのこっちゃい?ってタイトルだけど、図らずもお題の枠を大きく超えて、このところ我々が考えてることの中間総括的な内容になっていると思います。是非是非ご一読を。
http://www.axcx.com/~sato/senbikiya/j-pop/yn02.htm

このところ、ちびちびと「ガキ帝国ナイト」向けのネタあさりをしているんだけど、岡村ちゃんの1stがクソレコに混じって100円で投げ売られているのを偶然発見し、救い出すように即ゲット。「ガキ帝国」とは関係ないけれど、懐かしくってずっとこればかり聴いている。
まだまだレコード会社の思惑によるイメージ主導というか、後の天然ボクちゃんキャラが爆発した作風には程遠い、いわゆる当時の「エピックソニーサウンド」に収まった音作りなんだけど、今聴き直すと青春に憧れ恋に恋する岡村ちゃんのピュアな妄想が、チープで明るい音と相俟って眩しい。これは確かに、今敢えて再現しようと思っても、絶対に作れない眩しさだ。作為的にねらった「ピュア」ほど、鼻持ちならないものはないから。

俺が、はじめて岡村ちゃんを意識したのは、87年の広島平和コンサートの時。仲の良かった尾崎豊が途中で飛び込んで来て大暴れし、彼のキメキメのステージングを全部ぶっ壊して持っていってしまって、2人でヤケクソ気味に『ヤング オー オー!』を絶叫したライブ。この時は、尾崎やレッドウォーリアーズ目当てだったんだけれど(だから岡村ちゃんを、トイレ休憩にあててしまっており、尾崎の登場を聞いて、大方の客達と共に雪崩を打って駆け戻った次第、ゴメン)、20代に入って日常性からかい離した迷走をはじめ、やたらとステージにへたり込んだりで重ったるかった尾崎のステージよりも、唯の男子2人に戻って解放されていたこの瞬間が、いちばん魅力的だった。

岡村ちゃんもまた、ナイーブでピュアであることを卒業できないゆえに、いや、それを底に秘めながら、憧れがただのエゴと化した(上の対談で言えば、民主主義が資本主義にすりかわった、あるいは、その正体が露になってしまった)現実に対峙していくようなタフさ、クレバーさを持てずに、鬱屈と空回りと迷走を続けている。
けれど、ファン達は、不器用な彼のジタバタや失敗を、そうでしかありえない彼だからこそ、愛し続けているようだ。
http://home.k06.itscom.net/newswave/diary.htm (9月28日分)
少なくとも彼は、生延びるために、我々のような「鼻持ちならないヤツ」にだけは、なっていないから。

岡村ちゃんに限らず、ポップミュージックには、現実に耐えられないほどに可憐でナイーブな魂が、そこでだけ場所を得ているようなロマンティックな側面がある(ジミヘンやブライアン・ウィルソンらに代表されるように)。
が、こうした憧れに「憧れ」として距離を置くのでなく、本当に現実にしたいと願い、頑張りすぎると、確かにしんどいことになる場合が多い(が、そもそもロックなんてのは、そこを器用に割り切らない青さ、熱さが魅力だったりもするわけだ)。
対談の中でも触れられているけれど、人間が本当に多様な他者を受け入れるような許容力を持つことには限界があるし、片方でそのことを認めておかないと、却って自分の許容量を出るものを「無いこと」にしてしまうような欺瞞が生じてくる(だから、現在においては、しばしばわかりやすい保守の頑迷さよりも、むしろ一見リベラルな層の内に秘めた排他性の方が、見え難く、自覚されにくい分、より罪が深いと思う)。
俺も下で、魚雷さんにことよせて、「可愛いげのあること」を気持ち良く賞揚したりもしちゃってるんだが、本当は同情も共感も安心もできないもの、自分にとって「可愛いげ」のないもの、許容できないものと、いかに共存していくかを考えることの方が、ずっと困難だし大切なことだと思う。

以前に骸吉君が「オバQワールド」ってふうに纏めてくれた、共同体と民主主義が共存している「下町民主主義」は、確かに俺にとって憧れだ(俺はムラ社会と近代化の狭間で育った野暮天だから、下町モダニズムはあくまでテレビの中の憧れ。でも、お茶の間の鬱陶しいまでの一体感と、その崩壊過程の裏寂しさは、どちらも経験している)。
けれど、ドラえもん的な殺伐と寒々しさに耐えられなくなって、揺れ戻し的に作られた「キテレツ」にも、俺はどこかうそ寒さ…とまでは言わないが、物足りないものを感じる。「キテレツ」では「オバQ」のような、雑多さの中に生まれる乱暴なカオスが脱臭されてしまっているから。まあ、つまり「20世紀博」は90年代からはじまってたってことだ。

で、なんというか、俺は「民主主義」を標榜したいわけではなく、「民主主義」が(たとえ建て前としてでも)追求される過程で見えたこと、露になったことを、なし崩しにしてしまいたくないんだと思う。
時に「自分の了見の狭さ」を強く突きつけられ、また時に人間観の幅の広い自分でありたいと思い、そういう世界を目指したいと願う。「民主主義」じゃなくとも、この振れ幅を持ち続けようとすることは重要なんじゃないか?

長くなったのでこの話、続きはまた明日。