7日追記

http://d.hatena.ne.jp/FUKAMACHI/20090705
是非、上の『赤灯えれじい 東京物語』のレビューと合わせて読んでいただきたい、「深町秋生ベテラン日記」より衝撃の力作論考。

現代日本でも核家族化に歯止めがかかり、派遣労働の是非が問われるようになっているが、竹下家は本来人間が生き残るために必要だったはずの、そうした縁なるものを全部破壊して回っている。そういうことをしても生きていけるという勘違いを生んだのが戦後の時代だったと思うが、90年代からの田舎暮らしブームに乗って、なんの地縁もない北海道の極寒の地にひょいとやって来ては、さんざん迷惑とローンを残して埼玉へと戻っていくところがいかにもな感じに見えた。

しかし竹下夫婦がすごいのは、信念や宗教や哲学というものが最後までからっきし見えてこないところ。唯一、なにかがあるとすれば、それは「消費」だけなのだ。たぶんこのあたりが番組を見た人間を驚愕させるポイントだと思う。狂信的キリスト教原理主義者を映した「ジーザスキャンプ」を見たときと似たようなショックを覚えた。狂信的消費原理主義者の生態を見たというか。

非常に鋭い分析だと思うし、まったく同感。
ただ、この種のドキュメンタリーを見ていてしばしば感じるのは、製作者ががどういう意図を持って望んでいるのか、どうしたいのかが見えないことについての疑問。ドキュメンタリーが作り手の主観に基づいていてもいいし、そうであって当たり前だとも思うけれど、逆に「事実」を隠れ蓑にして語り手の主語が抜けていることに、いつも欺瞞を感じる。
彼らが取材対象に対してどう関わったのか、あるいは関わらなかったのか。
データや統計を元にしたルポや論文などにも、同様の疑問と反発を感じることが多い。


上の日記のブックマークで騒いでいる人にも(論考自体は力作だと思う一方で)、安易なDQN(この言葉を安易に使う人間の品性は、心底低劣だと思う)蔑視で騒ぎたがってるような嫌らしさ、ネタを「消費」する人間の高慢さを感じたので、是非そこに『赤灯』を対置して読んでみていただきたいと思った。
この作品には、不確かで限られた状況を精一杯生きる人たちにも確かにあり得ると作者が考える「幸福」が、しっかりと提示されていたと思うから。