ドラマの電車男、結構毎週楽しみに見てる。


恋愛なんてのは、美男美女より冴えないヤツのドタバタを見てる方がドラマがあって楽しいし、何にしろ初体験の渦中っていうのは初々しくてイイもんだ(二十歳くらいの時、彼女をはじめて招く友人のヤモメ部屋を徹夜で大改造した時のことなんかが思い出されてニンマリしてしまったり・笑)


しかし、何か一つ共感、祝福しきれないものが残るんだなあ。
やっぱり、「女に受け入れられること」がゴールっていうのがね...
恋愛ってのは相手があるもので、いいヤツだからモテるってもんでもないし、どう努力したって理不尽にフラれる時にはフラれるもんで、そこんとこ度外視した思い込みだけで「恋愛」と「頑張った自分」を美化ってのは、これはいわゆる少女マンガの世界だろう?


そう、最近の「モテ」なんて言い方にしてもそうだけど、「人間関係」そのものが目的になっちゃってるような風情に、なんだか女みたいだなって抵抗があるんだよ。
「コミュニケーションスキル」なんて言い方と一緒で、自分にどういう動機があって、誰にどう受け入れられたいのかって前提がすっ飛ばされている違和感。


昨日放送の回で、電車が脱オタしようとするシーンのBGMに、『さよなら銀河鉄道999』で森山周一郎の老パルチザンが旅立つ鉄郎を見送るシーンのBGMや、ガンダムの『風にひとりで』なんていう、「男の自立」を象徴するような曲が使われていたもので(そして俺がそういうのに滅法弱いタチってこともあって)、元ネタと電車の間にある断層が殊更に気になってしまった。



やっぱり電車は「おいどん」じゃないんだよな...
人に受け入れられることが目的で、信念(自分の基準)のない男、摩擦に耐えて迷いながら、どこかで独りそれを探してるって前提のない男っていうのは、俺は好きじゃない。最終的には。



これからの自分の模索が基本モチーフとしてあり、その上でそうした自分の都合が相対化されるような、「他者」に出会う試練として色恋沙汰があるってふうなまっとうな青春ドラマってのは、こういう姿勢からは生まれようが無いし、そういう意味ではオタク連中のこの話への反発の根拠も、単にコンプレックスからだけとも片付けられないところはあると思った。