『荷風!』(日本文芸社)

bakuhatugoro2004-10-03



高円寺文庫センターにて、『en-taxi』の新号を買ったついでに棚を物色していて発見。
http://www.nihonbungeisha.co.jp/
ここ数年、男女、世代を問わず、わらわらと創刊される『サライ』系雑誌がまたぞろ、と思いつつ、大した期待もなく気まぐれに手に取ったが、一読どうも様子が違う。
編集も写真もとにかく雑。「赤線跡を歩く」的な特集に、立ち飲み屋の紹介。銭湯特集の写真にはしっかりヌードモデルが写り込み、その隣には精力剤の広告。どうにもナイタイ系風俗誌的な、しらっちゃけた空気が漂う誌面。そこに川本三郎の映画コラムと藤木TDCのグランドキャバレー探訪、なぎら健壱の下町回顧ネタが同時に並んでいる。見ようによっては『en-taxi』なんかよりはるかにオルタナティブだ。


中でも出色は、元麻雀新撰組のタミィこと田村光昭プロによる、「阿佐田哲也のいた時代」。
『怪しい来客簿』直木賞落選の夜、泰ちゃんコミさんに井上光っちゃんが待つゴールデン街の「あり」にどうしても寄り付けず、「権威とか賞とかそんなものどうでもいいんだ」なんて吐き捨てながら、周辺の飲み屋を朝までウロウロしていた話とか、『離婚』の受賞後招待された園遊会にいそいそと出かけて行った話とか、味のある裏話の数々が楽しい。
勿論、異常なサービス魔であった色さんのことだから、これすらも、ハズレ者の遊び友達へのサービスである可能性も無きにしもあらずなんだが、男の見栄や上昇志向、無頼のハグレ者としての意地、そして根の育ちの良さといったものの間で苦しく揺れながら、文章の上では(あれだけ他者も己も透視し、その限界や末路までも晒し、飲み込んだ作品群を書きながら)まったくブレや醜態を見せず、楽屋を晒すことのなかった、その恥の意識の強さと誇り高さとを思うと、ナマなエピソードも二度味わい深かった。


それにしてもこの雑誌、どういう層を想定したものか、まったくわからない。
かつて、競馬、競輪のファンに、懐中にドストエフスキーを忍ばせているような人間が時折混じっていたような時代があったとも聞くけれど、ここまで世の中の底が抜け、雑誌も本もコンビニとマニア向けの専門書に二極化して、いずれにしろ各々が即物的な欲求を露骨に追求してはばからなくなった時代、こうしたゲリラ的なやり方に引っかかる余地があるとはどうにも思えない。
そんなこととっくに承知の上で、投げやりに好き放題やっているようなユルさも透けて見えるし、そんな座りの悪いまま「終わってる」場末感がまた、結果的に上手く内容にはまってもいて、どこにも順応できない(したくない)、自己を類型化した自己主張の仕方をできない落ちこぼれ共(ボンクラって言葉が最近調子よく聞こえて、なんだかあまり使いたくない...)の胸に染みそうでもある。


こんなもの喜んで読んでるから駄目なんだ、と自分にツッコミ入れつつ、やはりこういう「なくってもなくってもよいもの」(小林信彦)が、世の中の片隅にはいつもあって欲しいとも思う。