覚書 コミさんと美輪さんのリサイタル

bakuhatugoro2004-09-25

 どんなに、おれのまわりを見まわしても、見なれたものばかりだ。めちゃくちゃにかけだせば、なにかにぶつかるかもしれないが、おれの足は、きまったレールの上しか、うごいてくれない。あることについて、あることを考えても、たいてい、まるっきり逆のことも考えられる。
 おどろきがないからこそ、おどろきを書くんだ、というひともあるだろう。そんなひとはおどろきに向かう方向があるからしあわせだ。神はわからなくても、信仰がある、というひととおんなじだろう。しかし、おれには、なにもない。ただ、朝起きてからのことが、時計の時間で区切られる時間にしたがって、つづいて(あるいは、つづかなかったり)いくだけだ。


田中小実昌『自動巻き時計の一日』

……。




以下、本日の日記。


午後から、渋谷パルコ劇場にて美輪明宏のリサイタルを観賞。
前半は日本の叙情歌。
後半が美輪さん定番の、魂を胸ぐらごとわしづかみ系シャンソンの数々。
やはり、生で聴く、寸劇つきの「ボンボヤージュ」の迫力(殊にこの大河ドラマソングの中で、生娘が娼婦、中年女へと時を越えて豹変する瞬間が!)は凄い。
特に、やさぐれババァを演じた時の迫力が。
美輪さんは言動が本当に首尾一貫していて、ある種単調に感じてしまうこともあるくらいだが、やはり歌を聴いてしまうと、こういう本物の人にベタだとか大仰だとかいう突っ込みは、まったく無意味だと思い知らされる。
テレビだと時にやや浮いて見える毒舌にしても、自分を道化、アウトロー芸人とわきまえ、引き受けた上での確信犯なのだ。
今日も、「長島さんは強運な方だから、きっとプロ野球ののゴタゴタが収まる頃には復帰されますよ。ゴタゴタに巻き込まれなくてもいい頃に(笑)」とか、相変わらず曲間のお話がさえていたが、中でも細木数子への批判は印象的だった。
俺は、世間共同体の実態が消えたために荒みっぱなしの世の中にあって、ああいう近所しきってるような説教おばちゃんっていうのは、みんなの安心のために居てもいいのかな、くらいにしか思っていなかったが、美輪さんは「地獄に落ちるぞなんて恫喝をする占い師なんて、間違いなくインチキです」と容赦ない。「宝石で飾り立ててもブタはブタ」とか(笑)
考えてみれば、美輪さんのような、個人的な動機、マイノリティの苦難とプライドとを正面から引き受け戦い抜いてきた人にとっては、中途半端な世間道徳をかさに着るようなヤツはインチキ以外の何者でもないのだ。
「たとえ国だって、人の心の中に干渉しようなんていうのは、本当に失礼なことなんだ」
という一言が、強く心に残った。