「あたしが結局どんな人間かと考えてみると、結局行きたいところに行く人間ってことしか残らない」

と本人ものたまっているけれど、他人事ながら正直かなり心配だ。
こちらも、ぼうふら自由業生活をやってる身で他人をとやかく言えた義理ではないのだけれど、基本的には神経の細い出不精で、消去法的な帰結としてしっかり納得の出来ることにしか動けないしはまれなくて、結果世間から浮いているだけの当方と違って、ヤツは根っからの風来坊のようなとろがある。


男のように人生を能動的、人工的に作る「線」のように考えないので、感性が身軽でフラット、感情がこだわりにしこっていない。だから、官能、快楽にとても率直だ。今でも、純粋にロマンスを求めることに躊躇や諦めがまるでなく、相手にもそうした色気のあるヤツを求めるために、結果なかなか男と長続きしない。
世間(というかオヤジ)は若い女に甘いから、レコ屋の店員など甘いバイトで稼ぎながら、先々の男にいろいろな世界を教わっては領土を拡大してきたが、このところさすがにやや手詰まり気味にも見える。
「女は歳と共に資源が失われるのだから、別の生き方を用意しておかなきゃ」と、ついつい説教じみたことを言いたくなってしまうし、本人も煮詰まってあれこれ考えてしまった時には殊勝な顔で相談に来たりする。中心線の無い分毎度恋愛に夢中になり、ぐるぐると振り回されているが、結局懲りずに同じことを繰り返している。


さっぱりと軽い気性で、我侭で率直なヤツが面白くて憧れも感じた半面、そういつまでも刹那的に調子良くやってて、ツケがまわらないわけがない、と嫉妬混じりの感情も持ってきた。また、自分だって大きく見れば、手前勝手な我侭を通しているハズレ者にはかわりないので、こうした世間一般っぽい視線だけは持ちたくない、といった気分も入り交じって、着かず離れず、なんとなく眼が離せないでいる。
普通に考えれば遠からず煮詰まるはずだけれど、当今のことだからそうとも言いきれないぞ、という気もする。


このまま荒んでいってしまうのではないか、という不安もあるし、かといってトンマで無計画なところがなくなるとかわいげがないな、とも思う。けれど、ある日しっかりいい男の元に収まって、いいお母さんやってたりするのも結構似合っているようにも思える。うまくいってほしいのか、それなりの因果の報いがあってほしいのか、自分の気持ちも曖昧なところだ。


文章も美術的なセンスもあるし、マニアックな文脈ではないけれど、音楽の好みにもしっかりと自分本意な基準を持っている。その持ち方がとても軽くて洒落ている。ただ、やはり「線」にならない。しようという堅実な「下心」が持てない。(しかし、ヤツにイラストエッセイの仕事を振った時には、ムラっけと無責任ぶりに泣いたなあ...)
バブルガムナイトというのも、実のところ、当時の意中のにいちゃんが、ラモーンズなどのポップパンクやバブルガムミュージックのマニアだった影響、というかぶっちゃけ気を引きたい一心ではじめたものだが、こうしたポップスの不穏なまでに徹底した刹那性と甘さというのは、ヤツの性質にしっかりとはまっている。
ヤツがこのまま、異国の土となってしまうのか、青い目の子供を連れて帰ってくるのかわからないが、とりあえず無粋な観客としては、このヤツのホームグラウンドを維持しておいてやろうかな、と思っている。(ま、他の友人連と周り持ちでだけどね)