ジョーのあした2

TBSの安っぽいバラエティー番組の枠内でやってた、辰吉丈一郎の復帰第2戦と、その前後のドキュメンタリーを観た。
ボクシングについてはトーシロだから、もしかしたら見当違いな感想になるかもしれないが、加齢による体力の衰えをカバーするように、体力ギリギリのハードな練習を続け、オーバーワークでボロボロになっているように見えた。加えて、20年に渡り続くトレーニングによって減量慣れした体は、カサカサになるほど絞ってもウエイトが落ちない。
傍目にもかなり厳しいコンディションで臨んだ試合では、明らかにパンチにスピードがない。上体の柔らかさは相変わらずだったが、おそらく目が見えていないのだろう、右パンチがかわせない。1ラウンド目からいいパンチを貰い、3ラウンドにはダウン。目に見えて動きは衰え、それでも出し続けるパンチには、スピードも力もない。


復帰第一線でも危ない場面はあったが、その時はうまくいいのが入って、連打でKOすることができた。全盛期にしろ、世界タイトルを獲った直後に網膜はく離をやってからは、かつて至近距離でパンチをかわしまくって相手を翻弄した元々のセンスと自負とが裏目に出て、打たれまくる苦しい負け方もした。その一方で、あのシリモンコン戦のように、耐えに耐えた打撃戦の果てにいいのが一発入って、その後のラッシュで劇的に大逆転ということもあった。とにかくキャリアの後半は、派手なキャラクターと誰もが認める才能で万人が認めた初期のイメージ鮮烈だったからこそ、余計に、薄氷を踏むようなイチかバチかの不安定さと、あくまで現役にこだわる彼の強烈なエゴとが際立って、ある種パンクな陰惨さのようなものがいつも漂っていた。
しかし今回は、フィジカルな衰えが最早来るところまで来たために、陰惨を超えて、何か淡くて白い光が射しているように見えた。


彼の苦境や衰えを、殊更ドラマチックな見世物にしようとする、TBSの演出やナレーションは、とにかく下品だったと思う(特に、試合実況が酷かった)。でも、それに文句を言っても仕方がない。白黒が目の前ではっきりとついてしまうのがスポーツの醍醐味であり、他人がぶん殴られて、這いつくばる姿に熱狂するのがボクシングだ。そして、我々はその観客だ。今回テレビカメラを入れるのを許したのも、ライセンスを取り消され、試合を禁じられている現状の打開と、資金作りのために彼が自ら望んでのことだろうし、そうである以上、チープな感動物語に仕立て上げられることさえ、辰吉にとってはおそらくどうでもいいことだろう。
しかし、それだけの覚悟をし、犠牲を払っても、肉体の衰えは止められず、19歳のひよっことの試合に勝てない。


「どんな時にも自分に言い訳を与えないように」寒い雨の日も決してロードワークを休まず、満足に歩けなくなるほどの練習を「試合前なら誰もがやっていること」と言ってのけ、「すべて、誰のためじゃなく自分のためにやってること」「大切な人はたくさんいるが、まずは自分のためにやって結果を出さなきゃしょうがない。大切な人にはそれから返したら良い」と、抱え込んだ欲望の帰趨をあくまで他に転化せず、退路を塞ぐ。
近所の人たちと気軽に話し、まめまめしく子供の送り迎えをし、「ボクシングは好きでやってるだけだから」と、家事はすべてこなす。どこまでも自分のやり方を押し通すが、それを他人に押し付けることはない。
「好きなことが1つあって、それに夢中になれればそれでええんちゃうん? そうしたら、多くを求めんから他人にも優しくできる」「快楽はいらん。欲しいのは天下だけや」
「年齢による衰えを認めて折り合いをつける」という、並の人間にとってはごく自然なことを拒否する、不自然極まりない狂った男道だが、彼の言葉にはいつもブレがなく、実践に裏付けられているゆえに魅力的で、重い。しかし、どこまでも勝負にこだわる彼の、意思の力の輝きとその重さが完璧であればあるほど、残酷な衰えだけを晒す結果から、小さな個人の小さな拘りの無常が露に際立っていく。
不断の実践に鍛え上げられた覚悟の籠った言葉が、捨てられない人間、失いつつあることを認められない人間の、悲しい強がりのようにさえ響く。


この唯一無二の拠り所を失った時、彼はいったいどうなるのだろうか。
自分は、野球やサッカーのチームに仮託して、自分のチームであるかのように熱狂する人の気持ちがさっぱり分からない人間だけれど、何か自分の無力や不充足ゆえに、辰吉のような劇的な人間に思い入れる人の気持ちはよくわかる。ただ、さすがにここまで自分を追い込んでいる他人に向かって、「まだやれる。がんばれ」なんて無責任なことは、とても言えない(「もう辞めろ」と、止めることも同様)。
彼ほどの男なら、それを失っても、例えどんな場所からでも、端からはどう見えようとも、誇り高く満足して生き抜くはずだと、僕は信じる。
ただ、だからと言って、今、辰吉のやっていることが虚しいとは思わない。いや、どこにも転化できず、誤魔化しようのない虚しさをここまで自ら引き寄せて際立たせ、僕らに厳粛な光景を見せ付ける彼を、本物のスターだと思う。





●追記


以下、mixiの方でコメントをくれた、友人で同業者の松田尚之さんとのやり取りをUPします。
とにかく、観た後のインパクトが強すぎて、つとめて冷静に言葉にしようとする程、味気ない物言いになってしまう。こうしたざっくばらんに話しかたじゃない、なかなか全体的な感想を言葉に出来ない。

ちょっとひといろでは語れない、どう反応していいのか困惑するような映像でしたね。。。
しかしテレビの前のわれわれでさえそう思うのに、嫁さん(いい顔になってました)や子ども、トレーナーやその奥さん、大阪の町の人たちは、どうやって彼を受け入れているんだろうと思いました。
本人もるみさんも、若い頃表面を覆っていたコーティングが自然にはげて、地金のいい部分が自然に出せるようになったんでしょうか。
あれだけきつい減量中だというのに、息子の学校の子達がつくったカレーはむしゃむしゃ笑顔で食っているあたりがすごいなと。。。
本当に誰かが止めないと死んじゃうんじゃないかという気持ちと、あそこまで行きがかりで行っちゃったら、もう行くところまで行くしかないのかという気持ちと。
以前、ガチンコという、「やらせ」が問題になるほどバラエティバラエティした番組で辰吉が若いボクサー志望者に指導していた場面があったんですが、この人本当はすごいトレーナーにもなれたんじゃと思わせる迫力でした。
でもそういうのは興味ないのかな。。。




>まっちゃん


本当に、あれだけ一徹に個人的なストイシズムを貫いているのに(というか、だからこそか…)、周囲に対する物腰が柔らかなのが凄いです。

確か若い頃の世間への構えが消えて、というか、最早どうでもいいって域に進んでしまって、やることを後悔なく突き詰めぬいた人間の、強さと優しさだけが伝わってくる。
多分、親父さんもそうだったんだろうけれど、昔気質の一徹な実直さと、マイノリティ(なんて言葉を使うのが恥ずかしくなる…)ならではの独立独歩が独特に融合した、とにかくストレートな人懐っこさと、甲斐甲斐しい細やかさも、見てて切なくなるくらい魅力的だった。
子供たちの方も、鬱陶しがらないのが偉いと思った。あそこまで非の打ち所の無い生き様を見せられると、並みの子なら萎縮してしまいそうなものだから。


ガチンコファイトクラブのゲスト出演、俺も見てました。
竹原や畑山には反抗的な態度を見せていた塾生も、辰吉には一瞬で捕まれて、尊敬の眼差しを送ってた。言葉も含めた総合的な表現の説得力が、凄いんですよね。


ルミさん、もともと芯の強いしっかりした人だなって思ってたけど、本当に素晴らしい顔してましたね。「私が止めれば止まる」って、言い切ってたのも凄かった。


最高のわがままを通して、それを全部自分で背負い込み、しかも周囲にはあり得ない程魅力的な表情を見せる、本当に最高の人間だからこそ、彼をそうさせてる資質もなり行きも全部含めた業も、本質的な無常もこの上なくクリアに際立つ。
彼を前にしたら、どんな言葉も表現も色あせてしまう。本当に、同時代を生きてることがありがたいというか、物凄いものを見せてもらってるって実感があります。