奥浅草?

「ひさご通りを背にして通りの端に立つとしらじらと人のいない通りが、ほとんど非現実の光景に見えて来る。わずかに残る寄席のあたりに人がいるが、それも呼び込みの人たちなのではないか、と疑ったりしてしまう。
それからこみ上げるように、ふるさとを庇いたくなった。
なにが非現実な光景なものか。
これこそが浅草だからではないか。
東京のどこの盛り場より多くの映画館を持っていた街が、東京のどこの盛り場より早く一軒も残さずその映画館を見限ってしまったのである。これこそ昔と変りない浅草の客の「本音」ではないか。「具体の境地」ではないか。過激である。過激だが、誰にもそんな意識はたぶんない。ただ本音のままに実行したら、こうなってしまったのである。だからもう一息その「本音」の先行きを読んで新時代の「受け皿」を要領よく仕掛ければ栄えるかもしれないのに、たぶんそんなことに本気になれないところがあるのだろう。贔屓の引き倒しのようないい方になるが、それがいい。寂れたら寂れたままにしているのがいい。すると、老人が一人でうろついているのも、少しもおかしくない。しゃがんでお握りを食べているお婆さんも似合ってしまう。
もし仮に有能なプランナーを掴まえて知恵を借りれば案外見事に賑やかな六区を再生させることが出来るかもしれない。しかし、そうなると今この街に似合っているおじいさんもおばあさんも、ポツンと歩く中年男も尻をついてコップ酒をのんでいる当て処ないような人も居にくくなるだろう。
ふと私は六区の客がというより、六区という大通りの精霊が通りを「本音」で寂れさせているような気がして来た。それは街の商業主義にはまったく不都合だが実はその寂れこそが浅草ではないか。仲見世の賑わいは上辺の浅草で、本当の浅草は六区の寂れにあるのではないか、少なくとも仲見世観音堂だけでなく、六区の寂れを内包してはじめて丸ごとの浅草なのではないかと思う。六区も仲見世同様に賑わったら、さぞ浅薄でつまらない街になるだろう」
山田太一「浅草の本音」

浅草名画座が閉じた当時、六区周辺は本当に閑散としたゴーストタウン状態だった。この山田さんの一文を、圧倒されつつ、頷きながら読んだ。
ところが、スカイツリーが完成した途端、本当に要領よく栄えてしまった。その結果、「奥浅草」なんて実の無い厚化粧の極地のような言葉の(作為的な)流行に象徴されるように、より平坦なうそ寒い荒廃が広がり、無神経に歓迎されている。

実家の夢

寝苦しくて、エアコンをゆるくかけっぱなしで眠っていた。鼻が詰まって寝苦しく目を覚ましたら、まだ何時間も眠っていない。眠りが断続的で、不連続に夢を見ていたので、もう明け方くらいだとばかり思っていたのだが。
実家のトイレは古い汲み取り式で、自分が子供の頃は、あまりに狭くて閉塞感があるから、家の者たちはトイレの戸を開けっ放しで用を足していた。だから、鍵らしい鍵も付いていない。人が使っていると、戸が開いているからわかるというふうだった。しかし、長い休みに親戚が来たりすると、そんな事情は知らないで駆け回っている子供が飛び込んで来そうで落ち着かなかったりする。
休み前の友達との約束が重なって連日となり、親の顔色が気になってあまり眠れないでいると、何故か何度もトイレに起きている様子弟が勉強部屋の僕の引き出しを探っている気配がする。見られて困るような物もないから構わないのだが、音が五月蝿いし、離れにあるトイレに行く度に通過する台所の灯がともるのも気になって声をかけた。辞典を借りようと思ったのだが、散らかっていてどこにあるか分からないと言う。あまり見返したくないテストのプリント類などがごちゃごちゃ突っ込んだままになっていて、こちらが気まずくなる。五月蝿いからいいかげんに寝てくれと八つ当たりのように言うと、「うちの人たちはまだ気付いていない。うちはあと2日で終わるのに。支えていたものが無くなったら、古い家は終わる。そこから後は、辛いことしか起こらない。もう2日しか無いのに…」と、不吉なことをきっぱりと言い、何だかぞっとするように目が覚めた。折りたたみ式の階段を上げたままの実家の二階の物置部屋を、家族が居なくなるずっと前からそのままにしていることにふと気付いて、何だか落ち着かない気持ちを引き摺っている。

風流

やれやれと、賢しらな憂い顔や義憤を、建て前や通念に添って安全に程よくのぞかせながら、市井の庶民性をさりげなく美化しそちらに付く顔をする、裏返しのスノビズム。しかし、それらが孕む半面の悪は決して指摘も批判もしない。リスクを取るだけの倫理が無い(要は、ただの「いいとこ付き」だ)。バランスのよい大人の顔をした、小賢いだけのこういう俗物が本当に嫌いだ。

坂口安吾が「風流」と呼んだもの。

今日はそんな日

勝とうとしなければ負けてしまうのは当たり前なのだが、要領よく調子に乗って勝とうとばかりするヤツが嫌いだから困る。そんなことを言っていられるのはまだ余裕がある証拠なのだろうが、無理に気持ちをねじ伏せるように突き詰めたとしても、不似合いな先回りをしたような気持ちになる。要するに自分が熟していないのだから、実力なりになるようになるしか無いのだが、そう納得出来るほどちゃんと生きている自信も無い。結局気が付けば同じところで繰り返し逡巡して、疲れている。

でも、借金だけは積もっている。


自分にとって確かなことは、それだけのような気がする。

中島みゆきとおっさんについての記憶

「まったくフェミニズム以後の男の凋落は先が見えなくて不安になるほどだ。真似したいような男なんか何処にもいやしない。仮にいたって老人の私では今更手遅れだけれど、いま女性たちのリアルな突っ込みに耐える「格好いい大人の男」の幻想は、どのように存在しているのだろうか。
昔の話で恐縮だが、ほぼ四十年前私はテレビドラマで一人の男を書いた。戦争体験のある男で同世代の男たちがあまりに沢山戦争で死んだことを忘れられず、戦後の日本がどのように平和と繁栄の時代を生きようとも自分一人は生涯妻を持たず子も持たずひとりで片隅で生きようと決めている男の話だった。いわば禁欲のヒーローで「俺だけは戦死した男たちを忘れていない」と勝手に喪に服しているのだが、まだ戦争の悲惨を経験した人も多く、戦後の高度成長期を生きながら、それを死者に対していくらか後ろめたい気持ちがある人も少なくなかったので、そういう僧侶の役割を担うヒーローを必要としていたのだと思う。
いまはそんな分かりやすい存在をつくりにくくなってしまった。多くの人の思いが結晶となったヒーロー、ヒロインの幻想が困難になってしまった。
と、勝手に現在に適応できなくなっている老人が思っているだけなのだろうか。そうかもしれない」
山田太一「適応不全の大人から」

昔、中島みゆきが「プロジェクトX」の主題歌「地上の星」をヒットさせた時、「Jポップ批評」でも特集されることになって、編集者や友人の泡沫ライターたちと「彼女は弱者が誰かに敏感だから、今はおっさん達に向けて歌うんだね」と自然に見解が一致したことがあった。僕等もまだ若く、おっさんに対してまだまだ余裕の上から目線混じりだったと思うが。
それ以前の彼女は、ファンとその他一般の好悪の温度差の激しいアーティストの代表のような存在だったが、ようやくアフターバブルも陰りを見せ、不景気が言葉の上だけでなく実感され始めたのと共に、いつしか聴くのが恥ずかしいアーティストでは無くなっていた。
その後も彼女の人気は盤石だけれど、おっさん(思えばデカい主語だが)達は、いつの間にか憐れまれるような位置を脱したのか。友人たちは当時をどう振り返るだろうか。

消化された過去の夢

上條淳士が、描かなかった『TO-Y』の続編だか、『SEX』(この作品は当時も殆ど読んでいない)の最終回だかを、当時のクールなフィティッシュさのかけらもない、量産するような描線と雑なスピードで描き散らしている夢を見た。架空の女性ファン編集者との楽屋オチのようなものまで付けて。自分はこれらの作品への関心をまったく失って久しいのに、どうして今更こんな夢を見たのか不思議だけれど、たぶんそれらが完全に終わった過去として定着したからだろう。汚れのない、内面とか憧れだけを純化したような、実は中身の無いイメージ。本当は、ダサい生身や現実をたっぷりと引きずっていたから、それを昇化させるような気持ちでこちらも憧れたり、でも中身の無さを読み取って嫌ったりしていたのだと思う(自分の場合愛していたのは、本当は中身もあった紡木たくの作品だったが)。そんな描か方でしか表現できない時代、気持ちというものが、確かにあったのだと、今は距離を持ち、落ち着いて思える。しかし、そんなふうに思えるには、はっきりした時代の変転や、長い時間が必要なものだなと。

雨模様が続いて涼しくなり、昏々と眠って、やっと少しだけ疲れが抜けた気がする。

面倒臭くて生きる手掛かりも失う

「そして、これも今更といわれそうなことだが、次の違和感もあのころだけの思い出になってしまった。「あのころ」と書いたが、どうも私には、そんなに遠いことには思えない。
駅から少し折れると、住宅地のその道を歩く人が前を行く若い女性と私だけになった。追いぬけそうだが、どしどし近づくと怖がらせてしまうかもしれないと、距離を置いて歩いた。角を曲がる。それは私の曲がる角でもあった。家へは五、六分の角である。あ、案外近所の人かもしれないな、と思い、だったらこんなに距離を置かずに「こんばんは」と声をかけるのも年の功ではないかという気持ちが湧いた。誰が見ても私は無力な老人だが、たぶん一度も振り返っていない彼女は、あとから来る男の足音に不安を感じているかもしれない。小柄で地味なコート、髪型、低ヒールに肥ったトートバッグから判断すると、孤独と無縁というわけでもなさそうだ。こんな寒い夜である。声をかけて「御近所かな?」ぐらいの会話を交して何が悪いだろうと、少しその気になった時、ギクリとした。なにかいっているのである。なにか一人で声を出している。笑った。笑っているのである。ぞっとした。
もうお分かりだろうか。携帯電話だったのである。私にははじめての経験だった。歩きながら電話をかけている人をはじめて見た。夜道に一人ずつの二人とばかり思っていたが、向こうは連れがいたのである。なんだかはずかしかった。自分の感情を笑われたように感じた。
やがてすぐ、そんな光景はめずらしくもなくなってしまった。今更そんな話をしても苦笑もされない」

「手書きの私信が激減するのは、あっという間だった。それは日の前の景色が見る見る概念に変わったような当惑だった。情報量ががたりと減った。手書きの文字なら書き手の性別も年齢も教養も性格も体調だって感じられる。それが一気に無表情になった。
「それがいいんじゃない。ひとの字を見て勝手な推理なんかされたくない」
たしかにそうで、私も自分の手書きを公表されたくないが、私信ではそれをするというのが私信のよさではないだろうか。
「汚い」といわれる。「手書きの文字を読むと読みたくなーいという気持が溢れてしまう」と。
そうか、たしかに私の字を見ると、われながら汚いし、読みにくいかもしれないが、そうやって生活から汚れを嫌いすぎると、そのうち人間は汚れないものだと錯覚して汚れている自分も排除したくなってしまうぞ、と反論は気弱な憎まれ口になってしまう」
山田太一「適応不全の大人から」

自分がはっきり負荷や負担だと感じない程度のことなら、無償の行為もある程度は可能だ。
でも、嫌がられているような気配を感じてしまうと、たとえ潜在的に必要を思っていても、余程心に余裕や自信のある人でなければ行動を持続できないと思う。だから、自分には無理だとも思う。
世の中から「まあ、こういうものだ」という習慣や共通了解が失われると、つい遠慮や面倒くささが先に立ってしまって、気にする者ほど動き繋がる手がかりがなくなってしまう。ずるずると何もかもが面倒くさくなってくる。